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「美しかった物が泥だらけ」基地問題や差別を歌に ブルースシンガー知念良吉さん<不条理に抗う>7


「美しかった物が泥だらけ」基地問題や差別を歌に ブルースシンガー知念良吉さん<不条理に抗う>7 市民運動の集会で歌う知念良吉さん=2023年2月
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 優希

 2023年11月に那覇市の奥武山公園で開かれた県民平和大集会で、ブルースシンガーの知念良吉さん(71)の歌が響いた。「おお何処(どこ)へ行(ゆ)くオキナワンボーイ 美しかった物は泥だらけ」―。

 全国を旅しながら、生まれ育った沖縄の景色や感情を歌う。恋愛や家族など日常のさまざまなテーマを扱い、中には不条理に置かれた沖縄の姿も描く。32歳で代表作「何処へ行くオキナワンボーイ」を発表したのを機に、次第に平和集会などへの出演依頼が寄せられるようになった。

 意識していなかったが、「結果的に社会的なメッセージ性が強くなった。自分は政治や経済の専門家ではないが、自分なりに感じた不条理を表現している」

 1952年にコザ(現沖縄市)に生まれた。サンフランシスコ講和条約の発効で沖縄が日本から切り離された年だ。中学1年の時に米軍基地で新聞配達のアルバイトをした。英語放送局KSBKから流れていた音楽に興味を持ち、稼いだお金でギターを買った。高校で音楽活動にのめり込んだ。

 72年の復帰の時は20歳。「漠然とした日本への憧れがあった」。翌年には上京し、働きながら音楽活動をした。出稼ぎ先の寮で「沖縄の人と相部屋は嫌だな」という会話が聞こえてきた。今でも印象深く刻まれている。当時は「沖縄出身者を理由に見下されるなど嫌な思いをするうちなーんちゅがたくさんいた」

 しかし、沖縄ブームの到来で状況は一変した。「人間は安易だ」と感じた。それらも全て歌にした。沖縄と東京を行き来し、全国も巡りながらライブを続けた。

 「僕の生まれた町には金網がある」は基地から派生した事件事故の影響を受けるコザの町を、戦闘機が上空を飛ぶ情景を描いた「サンサンサン」は島言葉を交えて歌う。2曲は14年前にリリースしたアルバムに収めた。

 開発による自然環境の破壊は進み、名護市辺野古では新基地建設が強行され、自衛隊基地の造成も進む。「美しかった物は泥だらけ」。「オキナワンボーイ」の歌詞は、今も重く響く。

 知念さんは現在も新たな曲の創作活動に取り組み、夏から全国ツアーを始める。「戦争の影は至る所に落ちている。戦争が嫌なら、それぞれの立場でできることをやらないといけない」。これからも沖縄を歌う。

(中村優希)