4月11日、うるま市石川東山に住む伊波由紀子さん(70)は約4カ月に及ぶ反対運動の日々が報われたと思った。この日、県立石川青少年の家に隣接するゴルフ場跡地に持ち上がった陸上自衛隊訓練場の整備計画を巡り、木原稔防衛相が断念を表明した。住民が一丸となった抵抗が国を変えた瞬間だった。
伊波さんは米軍普天間飛行場が隣接する宜野湾市普天間で生まれ育った。両親は教員。復帰前、教職員の政治活動を制限する条項などを盛り込んだ教育公務員二法(教公二法)を巡る闘争やゼネストなど、不条理にあらがう県民らを目の当たりにした。「平和憲法に戻りたかった」と振り返るが、返還協定には基地の継続使用が明記された。失望感は深く刻まれている。
伊波さんも小学校教員になり平和学習に力を入れた。1989年に夫の地元、石川に引っ越した。訓練場整備計画は寝耳に水だったが、すぐに行動した。教え子で近所に住む社会運動研究家の玉城愛さん、宮森小ジェット機墜落事故の悲劇を伝える「石川・宮森630会」の伊波洋正事務局長と共に計画撤回を求めて街頭に立った。
新基地建設が進む名護市辺野古のこともあり、諦め感がないわけではない。ただ、運動の広がりを日増しに感じた。「掛けられる言葉も『頑張れ』から『頑張ろう』に変わった。皆が暮らしの問題としてとらえ、つながったことで大きなうねりになった」
金武町からも反対の声が起こった。屋嘉区長の島本勇人さん(53)も「意思表示しなければ」と思いを強めた。町には米軍キャンプ・ハンセンがあり、実弾砲撃訓練の騒音などが生活に影響した。島本さんも幼少から演習音を耳にした。「学校で勉強している時もうるさかった」
「災害時に助けてくれる」と島本さんは自衛隊の必要性を認める。だが、訓練場予定地の周囲には住宅地や教育機関があり、場所が適当でなかったととらえる。射撃やヘリの騒音被害の恐れもあり、「音が(自治体の)境界で止まるわけがない」とため息をつく。
近年、「台湾有事」などを念頭に自衛隊基地の拡張が進む。3月には、同じうるま市の陸自勝連分屯地に、沖縄本島で初めて地対艦ミサイル部隊が設置された。
石川の訓練場計画の撤回で、伊波さんは潮目が変わったとみる。「われわれが自分たちの地域、暮らしを守るためにつながり、行動することで国を、社会を変えられる」
(吉田健一、武井悠)
(おわり)