0歳児の名も 「平和の礎」追加刻銘181人、うち沖縄県出身24人 沖縄戦などの戦没者 刻銘計24万2225人に 


0歳児の名も 「平和の礎」追加刻銘181人、うち沖縄県出身24人 沖縄戦などの戦没者 刻銘計24万2225人に  平和の礎(資料写真)
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 沖縄県は31日、沖縄戦などの戦没者名を国籍を問わずに刻む平和の礎(糸満市摩文仁)に、181人を追加刻銘すると発表した。県出身者は24人で、そのうち戦場となった県内で亡くなったのは7人だった。県外出身者は戦艦大和の乗組員など近海で亡くなった海軍関係者が大半という。刻銘者数は合計24万2225人となる。

 県平和・地域外交推進課によると、県出身者の出身地は金武町4人、名護市と糸満市が各3人、那覇市とうるま市が各2人などだった。

 県内が戦没場所の7人は1945年2~9月に亡くなった。ほかの戦没場所はフィリピン5人、パラオやサイパンなど南洋群島6人。

 平和の礎には、県出身の原爆被爆者の名前も刻銘されている。今回も広島や長崎で被爆し、2022~23年に亡くなった4人が追加される。

 県外出身者157人の内訳は、東京都50人、広島県32人、宮城県28人、埼玉県13人など。また、既に刻銘されていた広島県の2人が二重刻銘だったため削除するという。

 今回、国外出身者の追加刻銘はなかった。

 平和の礎に年齢は刻まれないが、追加刻銘者の年齢は、公表された生年月日と戦没日から、県出身者の半数となる12人が12歳以下だと分かる。糸満町(当時)の女児は1945年6月1日に生まれ、命日は不明だが、その月内に亡くなったという。子どもが犠牲になる戦争の現実が改めて浮かび上がる。

(宮沢之祐)