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外科壕で犠牲の家族を追悼 糸満・赤心之塔で遺族ら 沖縄


外科壕で犠牲の家族を追悼 糸満・赤心之塔で遺族ら 沖縄 赤心之塔で祝詞をあげる金光教那覇教会の林雅信さん(中央)=19日、糸満市伊原のひめゆり平和祈念資料館入り口の左手
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 糸満市の伊原第三外科壕に米軍のガス弾が投げ込まれた1945年6月19日、ひめゆり学徒らと共に犠牲になった民間人の大田さん一家をしのぶ慰霊祭が19日、市伊原の「赤心之塔」であった。金光教那覇教会の林雅信さん(84)が祝詞を読み上げ、遺族らが冥福を祈った。

 「赤心之塔」は、ひめゆり平和祈念資料館の入り口近くの左手にある。裏には故・大田トシさんの夫の一雄さん、3人の子ども、義母ナハさんら5人の名前が刻銘されている。一雄さんは防衛隊で戦死した。

 壕には伊原の住民が避難していたが、日本軍が立ち退きを命じた後、沖縄陸軍病院第三外科とし使用された。大田トシさんは9 歳の義雄さん、5歳の繁子ちゃん、3歳の貞雄ちゃんの3人の子と、高齢のナハさんがいたため壕に残ることを許された。しかし、トシさんがたまたま壕を離れていた際にガス弾が投げ込まれ、トシさん以外の4人が亡くなった。

 ナハさんの三男の娘の賀数末子さん(78)=糸満市=は「安らかに眠ってほしい。平和な世の中でないといけない」と語った。

 (狩俣悠喜)