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「家族に会える気がして」 平和の礎 体験者や遺族、手合わせ 沖縄


「家族に会える気がして」 平和の礎 体験者や遺族、手合わせ 沖縄 日没後、「平和の礎」に刻まれた祖父の名前に向かって手を合わせる遺族。「写真でしか知らないけど、このときだけでも思い出したい」=22日午後7時40分、糸満市摩文仁の平和祈念公園(小川昌宏撮影)
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 23日の慰霊の日を前に、土曜日となった22日の糸満市摩文仁の平和の礎(いしじ)には、戦争体験者や遺族らが訪れ、戦没者の名前に手を合わせる姿が見られた。当日の混雑を避けようと、この日に礎を訪れた人も多かった。日中は日差しが照りつける中、線香の香りが漂い、花や飲み物、果物などが供えられた。日が暮れた後も、手を合わせる姿が見られた。

 沖縄市山内の戦没者らが刻まれる礎の前で、照屋静枝さん(85)は手を合わせていた。家族で住んでいたサイパンで戦争に巻き込まれ、当時13歳だった兄を失った。沖縄にいた祖父母は沖縄戦で亡くなった。「悲しい。ここに来ると名前を見るだけで(家族に)会えるような気がしている」。そう言葉を絞り出した。23日は那覇市識名の南洋群島戦没者慰霊碑を訪れる。

 一緒に訪れた息子の隆司さん(57)は「礎ができたばかりの時、名前を見つけた途端、母は泣き崩れていた。こんな静かな、きれいな島でなんて残酷なことがあったんだろう」と話した。

 23日は沖縄全戦没者追悼式に伴い、平和祈念公園周辺で交通規制が敷かれる。沖縄市の稲福三男さん(75)と妻の秀子さん(75)も、交通規制がない日に2人で足を運び、それぞれの亡き家族に祈りをささげた。子や孫と一緒に訪れている遺族らを見つめ、「こうやって継承されていくんだなと思うと、心強い」と三男さん。タイミングが合わず、自身の孫と来たことはないといい、「来年はぜひ孫を連れてきたい」と語った。

 (中村優希、前森智香子)