【うるま】65年前のあの日と同じような炎天下だった。30日に開かれた宮森小米軍ジェット機墜落事故の慰霊祭。遺族や当時の児童ら約300人が集まり、額に汗をかきながら、犠牲者を鎮魂し祈りをささげた。式典では、宮森小近隣で持ち上がった陸上自衛隊訓練場の整備計画についても言及された。
時折、せみ時雨が聞こえる慰霊祭会場には犠牲者の遺影が並べられていた。参列者が遺影を手でさすったり、手を合わせたりする姿が見られた。
事故で頭蓋骨骨折の大けがを負った山本(旧姓・山城)恵子さん(71)=佐賀県=は、当時の同級生とともに初めて式典に出席した。事件について抜け落ちた記憶を資料や証言で補い「事故の現場に来て、整理できて良かった」と話した。
式典で同窓生としてあいさつした、上間順一さん(72)は、宮森小の校区でもある地域で計画された陸自の訓練場計画について言及。「『二度と事故を起こしていけない』との思いが断念させる原動力になった」とし、「子どもたちに行動で示すことが犠牲者に応えることとなる」と訴えた。
近所に住む石川文子さん(85)は、事故当時、東恩納でジェット機の墜落を目撃した。石川さんは握りしめた拳を胸に当てながら「あの光景が忘れられない。亡くなられた方はどれほど苦しかったか」と思いやった。
大屋美智子さん(69)は、2年前に亡くなった夫の「基地がある限り、事故は起きる」という言葉が忘れられないという。夫は墜落事故で脚にやけどを負い「言葉に重みがあった」と振り返った。
(玉城文)