元米海軍兵が沖縄戦後に持ち帰ったとみられ、琉米歴史研究会(喜舎場静夫理事長)が元の持ち主を探していたノートと教科書が5日、那覇市の遺族の元に返還された。持ち主は、戦後に琉球大農学部長を務め、サトウキビの研究に尽くした宮里清松さん(2007年に86歳で死去)。妻三重子さん(94)、長男博さん(73)が受け取った。
![](https://ryukyushimpo.jp/tachyon/2024/07/23-2.jpg)
返還されたのは、表紙に「宮里清松」と書かれたノートと、数学と英語の教科書2冊。ワシントン州シアトルに住むクラウディア・キングさんから6月、琉米歴史研究会に「父が亡くなった時、父の蔵書の中に見つけた」と連絡があった。クラウディアさんの父ジャック・キングさんは1946年まで沖縄に駐留していたという。
本紙などの報道後、琉大関係者から研究会に寄せられた情報を元に、喜舎場理事長らが清松さんの出身地・本部町瀬底などを訪ね歩き、那覇に住む遺族にたどりついた。
ノートには「kainan middle school(カイナンミドルスクール)」と書かれていた。清松さんの父は開南中の設立に関わっていたが、清松さん自身は同校出身ではない。このため、「同姓同名ではないか」と慎重に確認したが、筆跡やノートに記載された内容から「持ち主」と判断した。
![ノートを沖縄から持ち帰ったジャック・キングさん(琉米歴史研究会提供)](https://ryukyushimpo.jp/tachyon/2024/07/23-1.jpg)
5日は、米国在住のクラウディアさん姉妹と那覇をオンラインでつなぐ中、喜舎場理事長から三重子さんにノートなどを手渡した。ノートを手にした三重子さんは「優しくて、いつ見ても勉強している人だった」と清松さんを懐かしんだ。
この日は、クラウディアさんの親族が卒業した大学に、博さんの長男が留学していたことも分かった。クラウディアさんは「不思議なご縁もあり、これからも交流を続けたい」と呼びかけ、三重子さんも「お付き合いしたい」と応じた。
(南彰)