20代後半から八重山上布を紡ぎ続けて半世紀。自然豊かな八重山の風景、色彩を上布に投影してきた。自身が手掛けた淡い黄緑と青の縦線が入った上布の着物を身にまとった新垣幸子さん(78)。人間国宝に認定されることに「信じられない。作品と同じように引っ込み思案で」と控えめに喜んだ。
1945年10月、母が疎開していた熊本県で生まれた。父は戦死した。米須(現在の糸満市)で父を見たという証言も聞いたが、詳しいことは分かっていない。3歳ごろに、母の故郷である石垣市に移った。地域の人々が庭先で織物を作っている姿を目にした。脳裏に焼き付いたこの光景が後の人生に影響を与える。
市内の高校を卒業後、地元新聞社や保険会社などで働いたが、子どものころ家々の庭先で見た「原風景」を思い出し、工芸の道を志す。
72年、県工業試験場(現在の県工芸振興センター)染織課で基礎的な染織技法を習得し、73年、石垣市内に自身の工房を開設した。岡本太郎著「沖縄文化論―忘れられた日本」を読み、八重山上布への探究心が湧き起こり、上布の研究や、幻の織物といわれた「括染(くくりぞめ)」復活につなげた。
2人の息子を育てながら、上布に向き合ってきた。夜遅くまで作業を続ける日もあり、夫を含め周囲の人の「温かさが支えになった」。自身の仕事でも「人を思いやる」気持ちを大切に取り組んでいる。
手掛けてきた作品は、多様な植物染料を活用した、透明感あふれる色彩が評価されている。数え切れない作品を世に出してきたが、中でも緑色の作品が最も多い。「沖縄の人は台風が来ても、その後、緑が芽吹くのを見て、元気づけられている。緑は新芽、若葉などさまざまな色がある不思議な色」と評す。
「生涯現役」と言い切り、上布作りに打ち込む。同時に、「若人たちにも伝えていきたい」と後進育成にも力を注ぐ。
(照屋大哲)