松川正則市長の急逝に地元政治家からも惜しむ声が聞かれた。
市議会の呉屋等議長は「『宜野湾が一番。住んで良かったと思われる街にしたい』と口癖のように語っていた。与野党問わず真摯(しんし)に向き合って話していた」と松川市長の姿勢を振り返った。23日の臨時議会後に「明日から東京に行ってくるよ」と伝えられた。「実は元気な顔で戻ってくるんじゃないか。2期目の半ばで、これから政策も花を咲かせるはずだった」と声を震わせた。
市議会はたびたび、米軍普天間飛行場に関する議論で過熱した。市長に語気を強めて質問をぶつけていた桃原功市議も「基地の返還に関するアプローチは違えど、思いは同じだった。松川さんは返還された宜野湾を見たかったはずだ」と寂しさを募らせた。
2012~18年に市長を務めた佐喜真淳さんは、当時副市長だった松川市長と2人で市の振興に取り組んだ。12日に普天満山神宮寺前の「普天間門前広場」のお披露目セレモニーで「完成できて良かったですね」と声をかけると、松川市長も「やったかいがあった」と喜んでいたという。佐喜真さんは「尊敬する人。ショックでつらい思いだ」と惜しんだ。
(名嘉一心)