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被害を聞いてきたか 被ばくの歴史に終止符を 佐久川恵美(同志社大学・都市共生研究センター研究員) <女性たち発・うちなー語らな>


被害を聞いてきたか 被ばくの歴史に終止符を 佐久川恵美(同志社大学・都市共生研究センター研究員) <女性たち発・うちなー語らな> 佐久川恵美
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 広島と長崎に原爆が投下される約3週間前の1945年7月16日、アメリカニューメキシコ州の砂漠地帯で人類初の核実験が行われた。原爆開発を率い原爆の父と称された物理学者オッペンハイマーは、原爆の想像以上の威力に衝撃を受け、原爆使用に反対し広島・長崎の惨状に苦悩し続けたという。

 その半生を描いた映画「オッペンハイマー」が沖縄でも公開されたが、そこには被ばく者の姿はほとんど無かった。無人地帯とされたニューメキシコ州の実験場が先住民の土地で、核の材料になるウランの産地でもあり、実験場付近の住民は今でも土壌汚染とガン等の健康被害に苦しんでいる。そして原爆開発の最中、人工元素プルトニウムの人体実験が行われていたことや、広島・長崎への原爆投下で放射線被ばくによる死亡や健康被害があることにも触れられなかった。

 人類が核や放射線を発見し「軍事」・「平和」利用してきた歴史は、管理しようとしてもしきれない核や放射線によって被ばくさせられてきた歴史でもある。

 今から約13年前の2011年3月11日に福島原発事故が発生し、管理しなければならない放射性物質が生活空間に広がったことで、避難生活を強いられている人たちが日本全国、世界各地にいる。復興庁の統計によれば東日本大震災による沖縄県への避難者数は24年6月時点で143名だが、統計に含まれない人々が存在しており、避難者の定義や統計方法が批判されてきた。これらは「復興」の名のもとに避難者数を少なく見せ、避難に必要な制度や支援を十分に整備しない姿勢につながっている。

 さらに、放射線に安全量はなく大人よりもこどもの方が被ばくの影響を受けやすいにも関わらず、福島原発事故発生以降、「放射線を正しく恐れよう」等と個々人が置かれている状況や想いを置き去りにしたまま一方的な「正しさ」が設定されてきた。この「正しさ」は言論統制の役割を果たし原発事故、被ばく、避難について語りにくい環境をつくりだしている。その結果、被害を受けている人や避難している人は被害を語りにくいこと自体にも傷ついているのではないか。だからこそ改めて問うべきは、被害や痛みを訴える声をどれだけ聞こうとしてきたかにある。

 沖縄でも核と原発の問題がある。原発が無い沖縄では過去、原発建設計画が浮上し、核兵器も配備されていた。無用な被ばくから逃れられないのなら、被ばくする歴史を終わらせる術を地域や世代を超えて共に模索しなければならないだろう。

佐久川恵美 さくがわ・えみ

 1989年生まれ、那覇市出身。同志社大学・都市共生研究センター研究員。主な論文に「福島原発事故における線引きを問う」(共著・ハングル訳「境界における災害の経験」亦樂出版社)などがある。