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消えた敵愾心 真実は唯一にあらず 喜納育江(琉球大教授) <女性たち発・うちなー語らな>


消えた敵愾心 真実は唯一にあらず 喜納育江(琉球大教授) <女性たち発・うちなー語らな> 喜納育江
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 争いは、自分が正しいと思うことを唯一の真実だと信じる者の間に生じる。しかし、視点が違えば、同じ事実が全く異なる真実になる。

 職員宿舎で一人暮らしをしていた頃、ある日の夜中にふと目が覚めた。部屋全体をぼんやり照らす携帯の充電の灯に人影が浮かんでいる。夢ではないと悟り、とっさに身を起こした。長身で細身の影がゆらゆら動いている。男だ。心拍数が高まる。私は相手を刺激しない言葉を探し、「出ていってください」と言った。男は促されるままおとなしく玄関に向かい、靴を履いて出ていった。しまった。私はまた玄関に鍵をかけるのを忘れたのか。

 安堵(あんど)したものの、男が戻ってくるかも、という恐怖から、念のために警察に通報した。駆けつけた警官に事情を説明していると、外を捜索していた別の警官から電話があった。「それらしい男の身柄を確保したんですがね…、泥酔してるんですよ」

 ドア間違い。団地ではあり得ることだ。同僚から、深夜に帰宅したら鍵がかかっていたので、寝ている妻を起こそうとチャイムを連打したら自分の家はもう一つ上の階だったという失敗談を聞いたこともある。しかし、泥酔男に事情聴取した警官の報告に、私は耳を疑った。男いわく「帰宅すると、部屋に知らない女が寝ていて、それがいきなり起きて、出ていけ、出ていけと言うので、怖くなって外に出た」とのこと。彼の脳内イメージでは、鬼の形相をした私に部屋を乗っ取られたことになっているらしい。

 私の真実と泥酔男の真実。どちらにとってもそれは真実なので、どちらの真実の方がより真実なのかを決めるのは、場合によっては司法の役目となる。しかし、法の真実にさえ「解釈」の余地が存在し、どの解釈が真実になるのかは、世論が誰の視点を支持しているかに左右されることもある。今回の場合、性犯罪に敏感になってきた世の中は「一人暮らしの女性の部屋に闖入(ちんにゅう)した男」の方を責めるだろう。しかし、男が私におびえていたと知って私の敵愾心(てきがいしん)は消えた。こう言えるのも被害がなかったからだが、泥酔するまで飲まないとやっていられないほどの何かがあったのかもしれない、と勝手に想像してかわいそうにさえ思った。

 「失敗は誰でもするし、今回は大目に見てあげよう」。そう思った時、キン肉マンみたいな体格の警官が去り際に「喜納さん、僕でも寝る時はドアにチェーンをかけますよ」と言った。大目に見てもらったのは他でもないこの私で、警官からすれば、どちらもお騒がせな粗忽者(そこつもの)というのが真実だったようだ。

喜納育江 きな・いくえ

 1967年生まれ、那覇市首里出身。琉球大学教授。専門は米文学、ジェンダー研究。編著書に「沖縄ジェンダー学」全3巻(大月書店、2014―16年)など。09年以降、大学や県の男女共同参画に関わり、23年より琉球大学副理事・副学長。