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「誇り汚され悲しい」歴史ガイドら批判 浦添ようどれ落書き 市が立ち入り規制 沖縄


「誇り汚され悲しい」歴史ガイドら批判 浦添ようどれ落書き 市が立ち入り規制 沖縄 防犯カメラに写った浦添ようどれに落書きする男=3日(浦添市教育委員会提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 藤村 謙吾

 国の史跡に指定されている浦添市の浦添城跡内にある「浦添ようどれ」で3日、スプレーによるものと思われる落書きが見つかった。「うらおそい歴史ガイド友の会」の玉那覇清美副理事長は「けしからん。王が眠るから、という理由だけではない。自分の先祖の墓が同じことをされたら、どう感じるか犯人に聞きたい」と憤る。

防犯カメラに写った浦添ようどれに落書きする男=3日(浦添市教育委員会提供)
防犯カメラに写った浦添ようどれに落書きする男=3日(浦添市教育委員会提供)

 浦添ようどれは、琉球王国時代初期の王族の墓。浦添グスク・ようどれ館にある、琉球王国時代に書かれたと思われる絵画には、クバの木も描かれ、人々からようどれ全体が聖なる場所と見られていたことが分かる。

 浦添城跡がある前田高地は沖縄戦の激戦地で、ようどれの一部も日本軍が陣地として使用した。沖縄戦の戦闘により壊滅的な状態となったが、琉球政府が1955年に墓室を修復。市教委が2001年から石積みの復元を始め、05年に全体の復元を完了した。浦添市は事件を受け、現場保存のため、しばらく立ち入りを禁止する方針だ。

 県文化財保護審議会の田名真之委員は「ようどれは古琉球時代の貴重な史料で、沖縄の宝だ。相当な調査研究を経て復元された。首里城もそうだが、復元の際は当時の技術だけでなく人々の思いも表せられるよう努める」と落書き行為を批判する。今後の保護の在り方について「文化財は、多くの人に見て知ってもらう必要があり、囲い込み過ぎるわけにはいかない。防犯には、常日頃、文化財は皆のものという意識を教育していくしかない」と話す。

 浦添市の小学生は、3年生から4年生にかけての地域学習の授業で「ようどれ」について学ぶ。市の銘苅健教育長は「これからも財産として残すべき大切なもので、浦添の子どもたちの誇りだ。誰か分からない人たちに汚され、悲しく、未来に向けて申し訳ない。早く修復し、子どもたちが見られる状態にしたい」と語った。

 (藤村謙吾)

用語
浦添ようどれ

 尚寧王(在位1589年~1620年)が、1620年に改修したとされる王陵(王家の墓)。西室が英祖王統の陵墓、東室が尚寧王の一族の陵墓と言われる。沖縄戦で破壊され、1955年に琉球政府が墓室を修復。96年の発掘調査の後、浦添市教育委員会が2005年に復元した。「ようどれ」は「夕なぎ」の意味。