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東条英機首相が来県、全校児童で出迎える 金城重正さん(93)戦世の記憶<読者と刻む沖縄戦>3


東条英機首相が来県、全校児童で出迎える 金城重正さん(93)戦世の記憶<読者と刻む沖縄戦>3 モノレール赤嶺駅に隣接する県営赤嶺市街地住宅。この地に小禄国民学校があった
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 1941年12月8日、太平洋戦争が勃発します。小禄村(現那覇市)具志で暮らし、小禄国民学校に通っていた金城重正さん(93)=那覇市=はその日のことを覚えています。

 《昭和16年12月8日、ハワイの真珠湾の攻撃があった。その日、学校では日の丸の小籏を持ち、地域をパレードした。》

 学校では皇民化教育、軍国主義教育が徹底していました。「いつも授業が始まる前、『朕惟ふに…』で始まる教育勅語を毎日やっていました」と金城さんは語ります。

 真珠湾攻撃後の快進撃に児童は胸を躍らせます。

 「シンガポール、マレー半島まで日本軍は進駐していた。日本軍は強いなと感激し、兵隊になりたいという思いでいっぱいでした」

 中城湾臨時要塞(ようさい)が整備された与那原に日本軍の艦隊が入港した時、金城さんは那覇駅から汽車に乗って見学に行きました。「軍人になりたい」という思いをいっそう強くしたといいます。43年に東条英機首相が来県した時、全校児童で出迎えました。

 「現在の航空自衛隊那覇基地の入り口(那覇市当間)に並んでおじぎしました。『頭を上げるな』と言われていたので東条首相の顔は見れませんでした」

 日本軍の快進撃は長くは続きませんでした。金城さんは不安を募らせていきます。