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首里城で米兵捕虜を目撃 金城重正さん(93) 戦世の記憶<読者と刻む沖縄戦>7


首里城で米兵捕虜を目撃 金城重正さん(93) 戦世の記憶<読者と刻む沖縄戦>7 米兵の捕虜をアカギの木に縛られていたという首里城付近
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 那覇市立商工学校(現那覇商業高校)の校舎を10・10空襲で失った金城重正さん(93)=那覇市=は1945年2月ごろから、沖縄神社の「本殿」となった首里城正殿に通い、日本軍の訓練を受けていました。

 《本殿では軍隊に協力するため、手旗信号の教育があった。その他にも軍に協力する教育があった。》

 その頃、金城さんは首里城で日本軍の捕虜となった米兵を見たといいます。

 《本殿に行く途中、龍潭の近くで、アカギに縛られたアメリカ兵を見た。日本兵の指導で国防婦人会の方々が捕虜を木銃で突く練習をしていた。》

 この捕虜は、10・10空襲で日本軍に撃墜され不時着した米軍機の乗員だったと金城さんは聞いています。米軍の記録によると、10・10空襲で米軍は14機の戦闘機を日本軍との戦闘などで失い、9人の搭乗員を失ったといいます。

 「婦人会の人を指導する兵隊が突くと捕虜は苦しそうな顔をしていた。今考えればかわいそう。でも当時はかわいそうとは思わなかった」と金城さんは語ります。

 45年3月に入り、金城さんは日本軍と共に生活するようになります。

 《今後は寝起きもみんな一緒にしなさいという命令が出た。識名園の壕への配置命令が出て、家に帰れない壕生活が始まった。》