1995年に起きた米軍人による少女乱暴事件を受け、党派を超えて8万5千人(主催者発表)が結集した県民総決起大会から21日で29年が経過した。
大会では沖縄戦から連綿と続く女性への性暴力と過重な基地負担に怒りの声を上げ、日米政府に対して基地の整理縮小や日米地位協定の見直し、米軍の綱紀粛正などを求めた。しかし、過重な基地負担は今なお続き、米軍関係者の事件事故は後を絶たない。地位協定も運用改善のみで改定は行われないままだ。
15日、95年の県民大会で実行委員長を務めた嘉数知賢氏が死去した。自民党議員で県議会議長だった嘉数氏は2020年の本紙インタビューで「ウチナーンチュが党派やイデオロギー、主義主張を超えて自発的に行動した戦後唯一の大会だったと思う」と語った。
事件発生後、真っ先に声を上げたのは女性たちだった。北京で開かれていた世界女性会議のNGOフォーラムで沖縄からの参加者たちは、現地で軍隊の構造と暴力についてのワークショップを開催していた。事件がフォーラム開催中だったことを知った女性たちは、帰国後すぐに会見を開き「事件はすべての沖縄の女性に対する人権侵害だ」と抗議し、要請行動や緊急集会を開いた。
事件をきっかけに民間ボランティアによる強姦救援センター・沖縄「REICO(レイコ)」も発足。レイコは昨年9月に活動を終えたが、県性暴力被害者ワンストップ支援センターの先駆けとして、性暴力に苦しむ女性に寄り添ってきた。
一方、今年に入って米軍人による事件が相次ぎ発覚している。昨年12月に米空軍兵による少女誘拐暴行事件が発生していたことが今年6月に明らかになり、その直後には、米海兵隊員による不同意性交致傷事件が5月に発生していたことが判明した。
一連の事件は、県警など捜査当局と外務省が発生や起訴について把握していた一方、県など地元自治体には情報が知らされていなかった。
相次ぐ事件の発覚で、95年と同様に女性たちが声を上げている。県女性団体連絡協議会(女団協)は超党派での大会開催を求め、県議会などへの要請行動を重ねている。しかし、県議会の動きは鈍いままだ。
変わらぬ国内・県内の現状は、女性たちを再び国連へと向かわせた。スイス・ジュネーブで開かれた女性差別撤廃委員会の8年ぶり審査を前に、委員らに対し米軍関係者からの性暴力被害を報告。日本政府に被害者の保護と救済、補償制度を確立し「不処罰の文化の終焉(しゅうえん)」に向けて取り組むよう求めた。
(吉田健一、慶田城七瀬)