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「津真田」戦後復興の地に 金城重正さん(93) 戦世の記憶<読者と刻む沖縄戦>12


「津真田」戦後復興の地に 金城重正さん(93) 戦世の記憶<読者と刻む沖縄戦>12 敗戦直後、「津真田」と呼ばれた那覇市高良。戦後の小禄復興の地となった
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 田井等収容地区内の集落の一つ、羽地村(現名護市)古我知にいた金城重正さん(98)=那覇市=は1946年、小禄村(現那覇市)に戻ります。この年2月、米軍は各地の小禄村民の帰村を許します。

 しかし、土地が開放されたのは現在の那覇市高良、宇栄原一帯で、金城さんの家があった具志は米軍が占有していました。村民は高良に集まり、「津真田」という新しい集落が生まれます。津真田は戦後小禄の復興の地です。しかし、厳しい生活が続きました。

 《羽地から小禄高良の津真田に帰る。山原、本土、フィリピンや南洋など外国からの帰県者も、小禄出身は高良に帰省した。テント小屋生活で大変な毎日だった。その中でマラリアが流行し、メチル酒(メチルアルコール)を飲んで多くの方々が亡くなった。》

 津真田で数年暮らした金城さんは糸満高校や那覇高校、専修大学などで学びます。米国民政府や民間企業で働いた後、政治の道を歩みました。

 「具志字誌」(具志自治会、2019年)によると444人の具志出身者が糸満市の「平和の礎」に刻まれています。金城さんの父、重雄さんもその一人です。「戦争は二度と繰り返してはならない」と金城さんは語ります。

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 金城重正さんの体験記は今回で終わります。次回から大城勇一さんです。