元積徳学徒隊として沖縄戦に従軍し、教員退職後は「平和教育の語り部」として活動を続けた名城文子(なしろ・ふみこ、旧姓座間味=ざまみ)さんが9日午前10時19分、老衰のため北中城村の病院で死去した。97歳。自宅は宜野湾市愛知。出身は旧越来村(現沖縄市)。告別式は12日午後3時から3時半、沖縄市美里5の29の3、メモリアルホール沖縄で。喪主は長男座間味唯康(ただやす)さん。
沖縄積徳高等女学校在学中に看護訓練を受け、豊見城城址にあった第24師団第2野戦病院に配属され、負傷兵らの看護にあたった。45年5月に部隊は重傷患者に手りゅう弾を渡して撤退。6月下旬、糸洲(現糸満市)の壕で隊長の命令で学徒隊は自決せず、解散した。
沖縄戦でひめゆり学徒の妹は自決で即死するなど両親や姉妹の家族5人を失い、「戦争は二度とあってはいけない」と自身の体験を語り伝えてきた。高校生の修学旅行で糸洲壕の案内や県外でも講演を重ねた。故中山きくさんが代表をしていた「青春を語る会」にも参加し、2005年の普天間飛行場包囲行動などにも足を運んだ。
青春を語る会で共に活動した徳山昌子さん(95)は「長いことお会いしておらずどうしているかと心配していた。寂しい」と話した。元平和ガイドの宮城孝子さん(61)は「名城さんを通し、ひめゆりや白梅以外の女子学徒隊の存在を知ることができた。隊長の言葉を大切に語り継いでいた」と振り返った。
(中村万里子)