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教育の恐ろしさ感じる 新城喬さん(11) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
南城市玉城親慶原にある知念高校の記念碑

 1949年に知念高校を卒業した新城喬さん(91)=北中城村=は、真和志村(現那覇市)三原に移ります。この地で沖縄聖公会三原教会の司祭となるW・Cヘフナーさんと出会います。ヘフナーさんは米海軍兵士として沖縄戦に参戦していました。新城さんはこの出会いがきっかけで、聖職者の道を歩んできました。

 今回の沖縄戦体験記は教会での講演をまとめたものです。この中で自身の体験を振り返り、教育の恐ろしさを語ります。

 《戦争では「命どぅ宝」という言葉が消え、「死ぬ」ということが教えられた。食べる物も飲む物もなく、飢えて死にそうな状況になっても、その教育が頭に入っていた。悩んだ末に何とか生き延びようと仕方なく手を挙げて出て行った。今思えば、人間をそこまで変えていく教育の恐ろしさを感じる。》

 今日の日本や世界の行く末を危惧し、問いかけます。

 《また同じことを繰り返そうとしているんじゃないか。それが怖い。沖縄戦は終わった。とうの昔に終わった。でも終わった話としてではなく、当時の真実を知ることを通して、また再び起こるかもしれないという恐ろしい時代になっている今、何をするべきか考えてほしい。》

 死と向き合う戦場を体験した新城さんの重い問いかけです。


 新城喬さんの体験記は今回で終わります。次回から諸見里ユキさんです。