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時代の証言 「世替わりを生きて」の意義 <おきなわ巡考記>


時代の証言 「世替わりを生きて」の意義 <おきなわ巡考記>
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 県平和祈念資料館(糸満市摩文仁)が取り組んできた動画による証言記録「世替わりを生きて」がこのほど完成、ウェブ公開されている。昨秋から今夏までの間に収録、監修を終えた。沖縄戦終結から日本復帰までの「アメリカ世」から「やまと世」への「世替わり」の時代を語るのは、次の20人の方々である(収録順)。

▽「しまくとぅばで語る沖縄芝居」瀬名波孝子さん(90)

▽「戦後、石川に暮らして」平川崇賢さん(78)

▽「エンジニアとして戦後沖縄に生きる」遠藤保雄さん(99)

▽「北緯27度線を越えて」嬉野京子さん(83)

▽「琉米文化会館と歩んだ20年」大嶺昇さん(91)

▽「青年団活動から出版業界へ」名幸諄子さん(83)

▽「ウチナーとアメリカの架け橋に」主和津ジミーさん(83)

▽「戦後沖縄の慰霊と観光」宮里政欣さん(94)

▽「高校野球に思いを託して」安里嗣則さん(83)

▽「戦後のコザの食と暮らし」徳富清次さん(78)

▽「少年の見た日本復帰」大城和喜さん(74)

▽「生きて生きて生き抜く力」伊狩典子さん(91)

▽「戦後沖縄の美術教育」稲嶺成祚さん(90)

▽「記者が見つめた『沖縄返還』」三木健さん(83)

▽「八重山(やいま)から平和と文化を考える」山里節子さん(86)

▽「八重山開拓民のくらしとマラリア」仲原清正さん(72)

▽「教育復興を目指した沖縄の教育者たち」石川元平さん(85)

▽「戦後宮古の社会教育活動に携わって」砂川幸夫さん(81)

▽「琉球料理は沖縄の宝」松本嘉代子さん(84)

▽「立ち売りから始めた傘屋の商い」洲鎌徳次郎さん(93)。

 この中から沖縄報道60年の嬉野さん、琉球新報の大先輩である三木さん、石垣市で「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」で活動する山里さんを紹介する。

 カメラウーマンの嬉野さんは駆け出しだったころ、伊江島で「沖縄のガンジー」と呼ばれた阿波根昌鴻さん(1901~2002年)に出会う。その活動を支援する動きの中で米軍に拘束されたが、阿波根さんらの力を借りて東京に戻ることができた。そこで沖縄の現実に気づく。「私は逃げ場所がある。沖縄の人たちには、ない」。以後、半世紀以上、沖縄を見つめ、見つめられ続けている。

 三木さんは高校生時代、米国が石垣島に開設した琉米文化会館の図書館で米国の民主主義に関する本をむさぼるように読んだ。それが「アメリカ」だった。やがて、その正体を見抜く。沖縄の米軍政は、書物で説く民主主義とは随分、異なっている。米兵による人権蹂躙(じゅうりん)事件は頻発、これに住民があらがってきたのが「アメリカ世」だった。「新聞記者は、誰のために書くか。虐げられた人の立場で書く」と言い切る。

 山里さんは、同じ文化会館が職場だった。英語を学び、米国の地質調査に協力した。この調査が軍事利用されることを後に知り、がくぜんとする。沖縄戦前後、マラリアで母と祖父を失い、兄は予科練の試験を受けるために乗り込んだ船が米潜水艦に撃沈された。生後4カ月の妹は壕の中で栄養失調のため亡くなった。そして今。軍備増強が進む石垣島で、山里さんは戦争反対を強く訴え続ける。

 「アメリカ世」を貫いていたのは、基地の存続・維持だった。宣撫(せんぶ)工作としての「文化行政」が姿を見せたことがあったとしても、である。では「世替わり」して半世紀の現況はどうなのか。証言集は、そこへも想像の及ぶ貴重な資料である。

(藤原健、元毎日新聞大阪本社編集局長、那覇市在住)