普天間飛行場「米軍が接収前に村落」 岸田首相が答弁 一部の言説を否定


普天間飛行場「米軍が接収前に村落」 岸田首相が答弁 一部の言説を否定
この記事を書いた人 Avatar photo 安里 洋輔

 【東京】岸田文雄首相は22日の衆院予算委員会で、米軍が宜野湾市に普天間飛行場を建設するまでの歴史的経緯について「米軍が上陸した後、土地を接収し、普天間飛行場が建設された」との認識を示した。米軍接収前に村落や生活施設があったとも認めた。一部保守層などが主張する「何もない場所に建てられた」といった言説を否定した形だ。赤嶺政賢氏(共産)への答弁。

 岸田氏は、赤嶺氏から「普天間基地がどのようにして現在のような危険な基地になったか」と認識を問われて答えた。

 沖縄担当相在任時の経験も踏まえ「役場や国民学校、郵便局、病院などが存在し、街道が通っていた。さらには集落が所在する田畑が広がっていた」と説明した。

 赤嶺氏は、1972年の日本復帰以降、那覇基地(現那覇空港、那覇市)やハンビー飛行場(北谷町)など在沖米軍基地の返還の度に普天間飛行場が機能強化されてきたとし、「基地のたらい回し」とも指摘。岸田氏は「形成過程についてはさまざまな議論がある」と述べるにとどめた。

 (安里洋輔)