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「インチキの空」の下 沖縄差別を東京で考える<乗松聡子の眼>


「インチキの空」の下 沖縄差別を東京で考える<乗松聡子の眼>
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 5月6日、東京・小平市の公民館ギャラリーで開催されたトークイベント「東京から沖縄をみる」に参加した。5月1日から開かれていた「浦添西海岸+米軍廃棄物パネル展」(「沖縄と繋がる東京たまほく会」主催)の最終日企画であった。

 二人のゲストスピーカーは中村之菊(みどり)さんと明有希子さん。中村さんは、日本による沖縄差別をやめるため、米軍基地を東京で引き取るとの公約で2022年の参議院選挙に出馬した。明さんは、2017年、当時5歳の娘さんが通う宜野湾市野嵩の緑ヶ丘保育園に米軍ヘリ部品が落下した事件を受け、自治体や政府への要請行動をした。現在は家族の仕事の関係で関東に住む、「語り部」である。

 明さんは、「沖縄の基地問題」ではなく、「本土が沖縄に押し付けている米軍基地問題」であると強調した。この2年、ヤマトで基地被害の現状を訴えても、「身を削がれるような」問いかけをされることも少なくなかったと語った。

 安全な場所にいながら「沖縄って大変だよね」という言葉をかけてくる人。「沖縄で座り込みをしてきました」と言いながらヤマトに戻ったら日常に戻る人。なかには沖縄の「頑張りが足りない」と言ってくる人もいるという。これらはみな「良かれ」と思って言う言葉だけに、受け取る身には苦しく、「やさしいヘイト」とさえ映る。自らの加害性を自覚していない言葉だからだ。

 普天間飛行場を抱える宜野湾市では緑ヶ丘保育園の事件直後にも、普天間第二小学校の運動場で子どもたちが体育の授業をしている最中に米軍ヘリの窓が落ちてきた。沖縄では1959年の「宮森小学校ジェット機墜落事件」、1965年の米軍パラシュート降下訓練で小5の子がトレーラーの下敷きになって亡くなった事件、2004年の沖縄国際大学ヘリ墜落事件など、教育の場で命が奪われ、脅かされる事件は枚挙にいとまがない。

 今、小6になった明さんの娘さんは、関東の学校では「授業中先生が黙らない」「夜の空が暗い」ことに気づいたという。宜野湾では米軍機の爆音のためにしばし教師は授業を中断する。夜でも普天間基地の照明で空はオレンジ色に染まり、暗くならない。

 関東の暗い空を娘さんは「インチキの空」と呼んだそうだ。基地を押し付けたままで、沖縄の暗くならない空、いつ何が落ちてくるかわからない空を放置しているヤマトの「インチキ」のことなのだ。中村さんは、「同世代の女性として東京で子育てをしながらも、頭上からヘリ部品が落ちてくる心配はなかった」と語った。普通だと思っていた生活環境が実は誰かを犠牲にした特権だったのである。

 「日本の沖縄に対する植民地主義は変わっていない」「無意識に押し付けたままにしないで差別をやめてほしい」「政権を変えてほしい」「自己満足のために沖縄を消費しないでほしい」「米軍基地はヤマトが引き取ったらいい」

 トークイベントで聞いた声の数々を胸に抱き、会場を後にした。来たときとは違い、「インチキの空」の下を歩いていることを自覚した。

(「アジア太平洋ジャーナル・ジャパンフォーカス」エディター)