公示後、初の週末となった19日、那覇市内のホテルに県内経済界の主要企業幹部が集まっていた。「十何年ぶりにこういう席に同席させていただいた。いろいろありましたけども、今後、自民党と一緒にきちっとやります」。投票日を前に協力を要請する自民党の森山裕幹事長と居並ぶ県内経済界幹部の前で、金秀グループ政治連盟の呉屋守孝会長はそう誓った。かつて支援してきたオール沖縄からの完全な決別宣言だった。
自民前職の国場幸之助氏陣営は悲願の1区奪還へ、ある戦略を描いた。連立を組む公明とのセット戦術はもとより、経済界の支援を基にした保守票を土台に、県都・那覇の市長を前面に押し出すことで無党派票を積み上げる。12年前、国場氏が選挙区初当選を果たした「王道」の再現を目指した。当時は那覇市長だった翁長雄志氏が国場氏の選対本部長を務め、主導した選挙戦だった。
知念覚那覇市長の支援を早々に取り付け、着々と体制づくりは進んでいく。「12年ぶりに県都那覇市長が一緒にマイクを握っていただける。心強いかけがえのない存在だ」。国場氏は10日の事務所開きでこう強調した。
知念市長の後援会には安慶田光男元副知事ら翁長氏を支えたメンツがそろう。「この10年で体制は一番いい。これで勝てない理由はない」。公明関係者も胸を張った。
さらには選挙区の那覇と離島の経済発展を推進する市民の会も立ち上げた。共同代表には日本商工連盟那覇地区顧問の石嶺伝一郎氏、知念那覇市長の両氏が就任。GW2050に連携して取り組む方針を掲げ、経済界を一枚岩にまとめあげた。
綿密に準備された勝利へのシナリオは一気に崩れた。
23日、自民非公認候補への2千万円交付の報道が列島を駆け巡った。「これで終わりだった。雰囲気が一気に変わった」(自民県連幹部)。期日前投票の出口調査でも国場氏への投票数が減少。自民への逆風は強まっていく。
翌24日、国場氏は那覇市内で知念市長後援会主催の支援集会に参加。約300人を集め、会場は熱気に包まれたが、「コアな層を集め、そこから票は広がるものだが、2千万円で熱は冷めていた」と県連幹部は振り返る。自公政権への批判は収まることなく、期日前の得票は頭打ちに。とらえかけた赤嶺政賢氏の背中は終盤でするりと離れていった。
結果的に国場氏と赤嶺氏は前回選より得票数を落とし、票差はほぼ変わらない7千票差だった。
(’24衆院選取材班)