本来、女性と男性の政治家は50%ずつで良いと思う。それが人口に比例するからだ。さらに言えば、男女に限らず、政治家はもっと多様性があって良いと思う。
当たり前だが、投票先はその候補者の主張を見て決める。候補者が女性だから投票するということではない。沖縄の候補者たちの主張を見ても、所属する政党の意見に沿っており、男女で主張が違うわけでもなかった。
むしろ問題は、その政党の意見がどのように決まっているのかというところにある。同質の人(たとえば男性)ばかりが集まった集団では、どうしても物の見方に偏りが出てしまう。この同質な者が多数を占める集団の中にいる少数者(たとえば女性)は、多数者の意見を少数者の側から支持することが好まれる。
多数者の中で少数者が声を上げるのは非常に難しい。少数者の声が多数者の耳に届くには一定の割合が必要であり、この割合を「クリティカル・マス」という。元々は物理化学用語だが、マーケテイング戦略でも使われるようになった。国連の1990年「ナイロビ将来戦略勧告」で、ジェンダー平等についても取り入れられた。
「202030」は聞いたことがある方も多いだろう。「社会のあらゆる分野において、2020年までに指導的地位に女性が占める割合を少なくとも30%程度とする」という目標のことだが、この30%こそがクリティカル・マスだ。女性の中にもいろいろな意見があるのだが、まずは30%いなければ「女性が存在すること」すら見えてこない。最低限でも30%の女性議員が必要で、まだまだ足りていない。
ある地区の候補者の多数が女性であることを残念と言った政治家がいた。今まで多数どころか全候補者が男性であることがどれほどあったことか。この発言こそが少数者の存在が見えていなかった証拠である。 (ジェンダー法)
(おわり)