【キラリ大地で】アメリカ 戦中の日系人語り継ぐ テリー島さん


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 「Go For Broke」(当たって砕けろ)をスローガンにヨーロッパ戦線で多大な功績を残した日系2世部隊442連隊戦闘団。その部隊には、沖縄系の2世たちが数多く志願した。メリーランド州在住のテリー島さん(88)もその一人だ。
 テリーさんは、明治のころハワイに移民した父庄栄さんと母ウタさん(名護羽地出身)の4男2女の次男としてハワイで生まれた。

 太平洋戦争勃発(ぼっぱつ)後、差別と弾圧の対象となった日系人の危機的立場を察知し、忠誠の証しとして陸軍第100歩兵大隊に志願した後、訓練のためにアメリカ本土に送られた。
 日系の連隊は、訓練で驚異的な成績を挙げ、高い規律と風紀を備えているとの評価を得た。テリーさんは「自分たちが功績を挙げたのは、アメリカ人としての忠誠心を証明するためには、全てに秀でていないといけないという自覚があったから。2世たちは1世の両親から国のために尽くすこと、家族に恥をかかせないために懸命に勤め、謙虚でいることなどの武士道の精神を子供の時から教えられた」と話す。
 第100歩兵大隊は、いよいよイタリア戦線への出陣となった。だが、友軍からの差別は依然として激しく、どこの連隊にも編入されずに孤立部隊として各地を転戦した。そして初陣から激戦が続き友軍は撤退するが第100歩兵大隊だけは、戦線を離れず銃撃戦を続け勝利を収めた。
 その後、軍部から100歩兵大隊は、米軍トップクラスの実力があると認められ、日系兵士部隊442連隊戦闘団として統合された。その後の442連隊は大きな損害を受けながらも怯(ひる)むことなく戦闘能力の高さを見せ、どの連隊からも尊重され傘下に入るようにと言われるまでの存在となる。日系部隊の勇敢な敢闘ぶりは全米に伝わることとなった。
 テリーさんは「終戦後、442連隊のワシントンでの凱旋(がいせん)パレードの時、トルーマン大統領は、442連隊が連合軍を勝利に導いたとして降りしきる雨の中、自ら彼らを迎え、『諸君は、敵と戦っただけでなく、差別とも戦い、そして勝ったのだ』と歓迎あいさつを述べた」と話す。
 さらに「442連隊は、戦死者も多かったが、アメリカ陸軍史上で多くの勲章を受けた部隊となり軍史上最大の記録を作った」と話す。
 昨年10月、442連隊は、ホワイトハウスに招かれオバマ大統領から議会金章が授与された。テリーさんは「70年前は、日系人は敵性外国人として扱われた。今では、日系2世たちが政界でもトップの地位に就いている」と話す。
 戦後、大学に進学し卒業後は、アメリカ大使館に勤め日本や東南アジアで勤務した。現在は、日系アメリカ人退役軍人協会の常任理事に就いている。そして、公文書館に通い、日系人がたどった歴史をリサーチし、その知識を生かして歴史を後世に伝えるために各地を回って講演を行っている。
 今年米寿を迎えたテリーさんは威風堂々とし、日系2世としての自負がうかがえた。4男2女の兄弟姉妹たちは、皆健在でいる。
(鈴木多美子通信員)