【アメリカ】会員の渡米理由調査 北米県人会


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北米沖縄県人会の歴史部メンバーとインタビューを受けた県系人たち=米カリフォルニア州の北米沖縄県人会会館

 北米沖縄県人会歴史部(当銘貞夫部長)はこのほど歴史に残すため、ハワイから移住して来た5人と中南米から移住して来た4人の会員にインタービューした。

アメリカほど世界のあらゆる国から人種が集まって構成されている国はなく「サラダボウルの国」と呼ばれる。人それぞれに歴史があり、ハワイや中南米からアメリカ大陸へ移住して来る理由や背景がある。
 1950年代から60年代にかけてハワイ経済が大きく落ち込み、ハワイから南カリフォルニアに移住したウチナーンチュは多数に上るが、北米沖縄県人会会員になっているのはそのごく一部だ。
 「レイナニのハイビスカス」など多くの著書で知られる劇作家のジョン城田さんや、「帰米二世」「遠い対岸」などの本を出版した帰米二世・コラムニストの山城正雄さん、1997年第10回バン・クライバーン国際ピアニスト大会で見事優勝したジョン仲松さんの祖父は沖縄出身で両親はハワイ生まれ。
 3人ともに現在カリフォルニア在住。故チャーリー神谷さんと息子の故ケン神谷さんは北米沖縄県人会の会長となり、娘のヘリーン島根さん(当日インタービューした一人)はいろんな方面で長年にわたって県人会に多大な貢献をした。彼らもハワイからの移住者だ。
 南米からアメリカに移住してきた人々の歴史は悲惨な側面があった。第2次世界大戦中に中南米の日系人2300人余が「スパイされる恐れがある」との思惑でアメリカに連行され、収容された歴史だ。その内訳は日系人が80%を占め、その50%は沖縄系だった。
 米国在住の強制収容者への補償から10年遅れた98年、中南米収容者は、クリントン大統領(当時)の謝罪と各自5千ドル(アメリカ在住者は2万ドル)の補償を勝ち取った。その背景に沖縄出身の父を持つ弁護士ロビン当真さんの努力があった。当真さんは名護系ペルー2世のカルメン望月さん、旧羽地村系ペルー2世のヘンリー島さんら原告を弁護した。当真さんの父は沖縄、母は岐阜県出身で「人権擁護」を専門とする弁護士だ。
 インタービューに集まった9人は全てハワイや中南米(ブラジル、ペルー、アルゼンチン、ボリビア)の2世、日本語は片言を理解するだけ。ほとんどが経済的により良い生活を求めて南カリフォルニアに移住してきた。現在は沖縄県人会員となって「シマンチュの心のよりどころ」をかみしめている、と答えた。(当銘貞夫通信員)

英文へ→North America Kenjinkai looks into reasons for migration