【キラリ大地で】アメリカ 香・スミス・高里さん(日本大使館職員)


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「祖母の傍らで琉球語を日常的に聞く環境にいたことは幸いだった」と話す香・スミス・高里さん

米国と沖縄の橋渡し
 香・スミス・高里さん(48)は、那覇市の首里生まれ首里育ちで祖母の元で育った。「沖縄の行事やトートーメーのしきたりを重んじる祖母の傍らで琉球語を日常的に聞く環境にいたことは幸いだった」と話す。

 米ワシントンDC周辺で琉球語が絶滅危惧言語であることを懸念する同志たちがシマクトゥバ勉強会を開くことになった。シマクトゥバを学びたいと参加したが、逆に教える立場になった。
 香さんはネットで「ウチナー昔話」を検索し、テキストとして使い、日常のことをシマクトゥバを使ってメールにした。「シマクトゥバでぴったりでも日本語に訳されると微妙にニュアンスが違ってくる」と表現の豊かさを熱弁する。「退職したらシマクトゥバの教室を大きくするのが夢」と語った。
 現在は日本大使館に勤め、2人の息子の母親として仕事や育児に追われる。「大使館業務は外交官の補佐のほか外交文書の発送や受領処理と多岐にわたる。頑張り屋の外交官を見ると感化され、勉強になる。仕事は楽しい」とほほ笑む。
 大使館勤めも20年近く。思い出に残る出来事は、渡米後消息不明になった妹を探したい沖縄の女性からの依頼。依頼人は80歳すぎで、死ぬ前に50年前に別れたきりの妹に会いたいとの趣旨だった。
 香さんは大使館職員としてではなく、同郷のよしみで妹さんを探すことを決意し、ネットを使いユタ州に健在であることを探し当てた。すぐ電話をかけ本人と確認したが、その本人は長い間、日本人との交流がなかったため、日本語も方言も忘れ、英語しか話せなかった。依頼してきた沖縄の姉には妹が健在なことを伝えた。その後、香さんは、50年前の沖縄しか知らない妹さんのために今の故郷の映像をビデオに収め送った。
 現在農林省に勤めている夫のシャノンさんとはちょうど香さんが1年間のアメリカ留学から帰国して2週間目、沖縄国際センターで働き始めた時に知り合った。最初は英語の勉強のため友達になろうと、付き合いが始まったが、1年後に結婚。長男は沖縄で生まれ、その後シャノンさんの仕事の関係でバージニア州に越して来た。
 長男ジュリアン君は20歳、次男のショーン君は10歳。成人した息子がいるとは思えないほど若々しく、物腰や言葉遣いが柔らかで、典型的な首里文化の良さを受け継いだ女性との印象を持った。
(鈴木多美子通信員)