大度海岸にジョン万次郎上陸碑を 糸満に期成会、観光活用へ


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「ジョン万次郎上陸之地記念碑建立期成会」の設立総会に参加する人々=21日、糸満市の米須コミュニティセンター

 【糸満】幕末の徳川幕府で通訳として活躍したジョン万次郎が10年余の米国生活の後、帰国する際、最初に上陸したとされる糸満市の大度海岸に記念碑を建立しようと21日、「ジョン万次郎上陸之地記念碑建立期成会」が設立された。

同日、市の米須コミュニティセンターで設立総会が開かれ、市社会福祉協議会会長の山里朝盛さんが会長に就任した。会員は糸満市議や米須、大度区民ら104人。今後、市や県への要請や募金活動を通して、早期建立を目指す。
 幼いころ、漁で遭難し、米国の捕鯨船に救助されて以来、長年米国で暮らした万次郎。1851年、当時鎖国をしていた日本に直接帰国せず、琉球王国の摩文仁間切小渡浜(現大度海岸)に上陸。豊見城間切(現豊見城市)の翁長で半年過ごした。帰国後、幕府の通訳として活躍。坂本龍馬など幕末の志士らとの交流を通じて、近代日本の成立に寄与した。同会は、万次郎の記念碑建立を観光資源や教育面で活用する考え。
 総会では、万次郎を最初に取り調べたとされる摩文仁間切番所(現在の役場に当たる)の復元についても提案された。
 副会長の徳元秀雄さんは、万次郎の出身地高知県土佐清水市では「万次郎の生涯をNHKの大河ドラマに」と官民連携で要請活動を進めていることや長期小説の連載、これから映画化の構想があることを紹介。「さらに再評価されて盛り上がってくる機運がある。今、記念碑を建立することは非常に意義がある」と強調した。
 総会に出席した上原裕常市長は「近代国家の夜明けは、小渡浜からスタートしたのではないだろうか。記念碑の建立は、市としても相談してバックアップしていきたい」と話した。

英文へ→Residents plan to erect John Manjiro Memorial Monument at his first landing place in Itoman