宮古島市長選 「革新」退潮著しく


社会
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野党、候補者擁立できず 不信強く“同床異夢”

 宮古島市長選は6人が乱立して激戦となった前回選挙から一転し、市議会野党勢力が対立候補を擁立できず、無投票という結果に終わった。有力な候補者を選定できず、4年前から日程が決まっていた選挙について「日数的な余裕がない」ことを理由に、擁立断念した革新系を中心とする野党勢力の地盤沈下が浮き彫りとなった。

 市議会野党会派は、2012年6月ごろから協議を始めた。野党最大会派で政党そうぞうの流れをくむ21世紀新風会の意向もあり、保守系の元首長などの名前が挙がった。内々に打診を受けた人物もいたが、野党が本当に一枚岩になれるのか疑問を拭いきれず踏み切れなかった面があり、加えて野党内でも全員参加の協議会が一度も開かれないなど互いの不信感が根強く、擁立に至らなかった。
 新風会の市議は「候補によっては与党市議も2、3人取り込めると思って名前を挙げたが、野党内で否定する声は強く、引き受けてくれる候補を探せなかった」と話す。
 現職の下地敏彦氏と4年間で関係を深めた下地幹郎前郵政・防災担当相の強い意向も働き、新風会は11月に現職支持を表明した。ある野党市議は「最初から、新風会と革新系の市議では政策で一致できる可能性は少なかった」と話し、“同床異夢”の様相だったと指摘する。
 09年の市長選で、革新系選考委の委員を務めていた奥平一夫県議が「勝てる候補が必要」として、革新側から距離を置き、新風会が擁立した候補を支持。これにより、革新系野党市議との間に確執が生じた。その溝は4年を経ても埋まらず、最後まで結束を図ることはできなかった。
 昨年9月の那覇市長選に続き、宮古島市長選でも統一候補を擁立できなかった革新系勢力の退潮傾向は危機的な状況にある。2月の浦添市長選は独自候補を擁立せずに保革相乗りとなり、「革新共闘の崩壊」(野党系県議)を指摘する声もある。「人材不足」や「時間不足」を理由に人選が遅れ、統一候補擁立の断念や準備不足などで革新勢力は主要首長選挙で連敗し、県民の評価は厳しさを増している。
 全県選挙の天王山となる来年の県知事選に向け、革新側の抜本的な態勢の見直しが迫られる。今後、革新以外の野党勢力と連携をどう図るかが鍵を握る。
(沖田有吾、宮城征彦)