『月や、あらん』 他なるものたちのほうへ


社会
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『月や、あらん』崎山多美著 なんよう文庫・1524円

 崎山多美の小説集『月や、あらん』は、不穏な美しさに満ちた一冊である。収められたのは、二〇〇〇年代に書かれた2編の小説。うち1編の「水上揺籃」(群像01年8月号)は、複数的な物語の挫折と、見ると見られるの関係性の不随意な逆転により、読む者の立場性をも揺るがし、問い返す。

無人のシマの人工的な建造物で演じられる舞台へ招く、かつての恋人・演出家の男からの手紙。元は琉舞の舞い手である「わたし」は、そこに「観衆」として招かれながら、演じ手と化す。見ると見られる、男と女、人為と自然等、この社会に引かれた境界線を、この小説は溶け流す。また、この小説が孕(はら)むシマは、作中人物たちの恋物語、母恋い、父恋いの物語、さらには琉舞、古典や民謡など、幾重にも重層化され歪(ゆが)められており、安易な回帰や安定した物語の完結は望めない。予定調和には収まることのない他者のシマへ、この小説は読者を迷い込ませる。
 一方、書き下ろしの『月や、あらん』は、ユーモアとアイロニーの中で傷つき、傷つけられた者たちと交わる作法を提起する。忽然(こつぜん)と姿を消した「女性編集者」高見沢了子。その最後の仕事は、戦時中強制連行された元「従軍慰安婦」の声ならざる声を聞くこと。その仕事は自らを憑代とする自死的な行為となり、老女の声を安易に代弁することで収奪する文字、「ウソ」の言葉への抗議を孕む。
 老女の声を聞く了子の行為そのままに、3人の「女友達」は、了子の遺言とも言うべき声ならざる声を聞く。そこにおいて小説は「女友達」の絆を取り結ぶ。元「慰安婦」、内地人、国籍や民族不明の者ら、異なる背景を持つ女たちが連なるその絆は、違いを曖昧とはしない緊張感を保ちながら、「女」たちを受け入れる。多くの崎山作品に底流するその絆はまた、小説家崎山と編集者岡本由希子の共同作業が世に出したこの本の誕生過程そのものでもある。生者と死者が同居し、人間ならざる者が跋扈(ばっこ)する『月や、あらん』。そうした他なるものたちへ-本書の絆は、開かれ続けている。
 (渡邊英理・宮崎公立大准教授)
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 さきやま・たみ 1954年西表島生まれ。「水上往還」で九州芸術祭文学賞。作品集に「くりかえしがえし」「ムイアニ由来記」「ゆらてぃくゆりてぃく」。エッセイ集に「コトバの生まれる場所」。