コザの50年代、力強く 国吉美恵子さん半生語る


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1950年代のコザの様子を語る国吉美恵子さん=2月20日、沖縄市のヒストリート2

 【沖縄】沖縄市市史編集担当は2月20日、市戦後文化資料展示室「ヒストリート2」で定例の「戦後史を記録する会」を開いた。

1950年代、母親と越来村(現沖縄市)で自動車修理工場やホテルを経営した国吉美恵子さん(84)がゲストスピーカーとなり、50年代のコザの姿を語った。
 国吉さんは那覇市久米の生まれで、幼少時に家族で上海に移住。一時帰郷した後、台湾に渡航し、敗戦を迎えた。1949年に沖縄に引き揚げ、母親の発案で米軍相手の自動車修理工場やホテルを経営した。
 伯父は沖縄初の外交官として活躍した田場盛義氏。
 ホテル経営時について国吉さんは「ホテルに客が入らなければどうしようと私は怖かったが、母は奇抜な人で失敗を考えなかった。それに母のやることはよく当たり、コザを生き抜くことができた」と回想した。
 50年代のコザを振り返り「殺伐としていたし、みんなが苦労した。しかし、今から考えると面白くもあった。敗戦後、沖縄の人はよく生きてきた。みんな大変だったと思う」と語った。