高齢者と寄り添い“仮設生活”支える 竹富町出身・宮良さん


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お年寄りが元通りに暮らせる日を待ち望む宮良孫勝さん=2月28日、福島県いわき市

 東日本大震災から2年となる11日を前に、被災地各地では追悼の行事が開かれ、多くの人が犠牲者の冥福を祈り、復興を誓った。被災した県出身者も支え合いながら、一歩ずつ復興への道のりを歩み始めている。「忘れない」。多くの人がさまざまな思いを胸に、「3・11」を迎える。

 【福島県で当銘寿夫】「困ったことがあったらいつでも連絡してください」。福島県いわき市勿(な)来(こそ)町で国民宿舎の管理人を務める宮良孫勝さん(70)=竹富町・小浜島出身=は震災後、一人暮らしの高齢避難者が買い物や遠出をする際に、自家用車を出して同行するなど生活を支えている。宮良さんは「お年寄りが、早く元の自分の家で暮らせる日が来てほしい」と待ち望む。
 宮良さんが管理人を務める国民宿舎は震災後、福島第1原発の近くにあった楢葉町の住民の避難所に指定され、多くの町民が避難に訪れた。避難所にいる間は食事も出たし、支援物資も届いたが、仮設住宅に移った後は、その支援はなくなる。仮設に移った後、大丈夫だろうか-。宮良さんは車を持たない一人暮らしの高齢者が仮設住宅に移るときに、名刺を渡した。「助けが必要なときに連絡ください。車を出しますから」
 宮良さん自身も、自宅が一部が損壊した。だが「自分は家で生活できているから」と、より支えが必要な人に手を差し伸べる。名刺を受け取った人から「買い物に行きたい」「元の家に荷物を取りに行きたい」と連絡が相次いだ。車で駆け付け、一緒に買い物に行って重い荷物を持ったり、片道50キロかけて楢葉町に行くのに付き添ったりした。謝礼は受け取らない。
 連絡がなくても月に2、3回は仮設住宅に顔を出し、会話を交わす。訪問を待ち望む高齢者からは「楢葉に帰れるようになっても、来てくれっけぇ」とつながりが切れることへの不安が漏れた。「僕も、もうすぐ高齢者なんだけど」と笑う宮良さん。「もちろん行きますよ」。体力が続く限り、支えていくことを誓った。