【島人の目】方言は語学なり


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 僕は英語とイタリア語を問題なく話す、と言うとこちらが気恥ずかしくなるぐらいに大いに感心する人がいる。外国語をしゃべる人を見て日本人が感心するのは、西洋へのあこがれもあるだろうが、何よりも日本では語学が学問になっているからである。しかし語学は学問ではない。ただの慣れである。
 僕はイギリスに5年住んで、ニューヨークにも仕事で2年間滞在した。イタリアにも長く住んでいる。だから英語とイタリア語をしゃべるのは当たり前である。そうは言っても外国語を話す者の間にはうまい、下手の差はある。そして僕は語学のできる日本人の中では話す能力がある部類に入る。これは別に自慢話ではない。
 なぜ僕が外国語を苦にしないかというと、どうもそれは生まれ故郷の多良間島の方言と関係がありそうだ。島の言葉には実に多くの難しい発音がある。たとえば日本語には正確な発音がない英語の語尾のT・DやF・Vなどの音。イタリア語のSI、ZI、ZUの発音(断じてシ、ジ、ズではない)なども多良間語にはちゃんとある。
 現在の僕の「語学力」は流ちょうな順に、日本語、多良間語、英語、イタリア語。続いて流ちょうではないがほぼ完ぺきに理解できる宮古語。その後にスペイン語とフランス語と沖縄本島語がほぼ同列に並ぶ。僕がしゃべるそれらの言語の中で、真に僕の血となり肉となっているのは日本語と多良間語である。日本人なら誰でも日本語は話せるが多良間語は特殊だ。その多良間語に堪能な分だけ、どうやら僕は「普通の日本人」よりも外国語が得意なようなのである。
 (仲宗根 雅則、イタリア在住・TVディレクター)