蔡大鼎の文書確認 うるま市立中央図書館


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蔡大鼎が福建に行った際、公務で使用していたとみられる書式集「呈文集 全」(蔡大鼎)(うるま市立中央図書館提供)

 【うるま】うるま市立中央図書館市史編さん室は30日までに、明治政府による「琉球処分」に抵抗して琉球救国運動を展開した蔡大鼎(さいたいてい)(伊計親雲上)が存留官として福建に滞在中、公務で使用していたとみられる資料など約30点を初めて確認した。

資料には、清が琉球王朝に贈ったとみられる暦などもあった。榮野川敦館長は「琉球王朝末期から明治時代初期の動乱期の研究資料として貴重だ。清と琉球の外交や、具体的な業務内容が明らかになるのではないか」と期待した。
 資料は、市が一括交付金を活用した「蔡大鼎伊計村遊草(いけいむらゆうそう)等調査研究事業」で確認された。
 1872年の琉球藩設置後、明治政府から対清国関係廃絶の太政官令が出されると、蔡大鼎は福建へ密航し、清国に琉球の窮状を訴える請願運動をした。詩を好み、多くの詩集も残している。今回確認された資料は、山形県内の複数の施設に所蔵されていた。榮野川館長によると、旧米沢藩出身で第二代沖縄県令・上杉茂憲の善政を記録しようと、1923(大正12)年ごろに来県した家臣らが持ち出したと推測される。蔡大鼎が朱子学の祖、朱子に関する内容を写し書きしたと推定される資料や、公文書の書式集もあった。
 榮野川館長は「琉球史に関する資料がこれだけ大規模に確認されるのは極めて珍しい」と話す。調査に同行した研究者からも「大変な資料」との評価を得たという。(東江亜季子)

<用語>蔡大鼎(さいたいてい)
 1823年久米村に生まれる。没年は不明。和名は伊計親雲上(いけい・ぺーちん)。琉球王国時代に中国との外交を担った役人。琉球救国請願運動の中心メンバーの一人。明治政府による清との冊封・朝貢体制禁止後の1876年に陳情特使として清に渡り、85年ごろまで福州や北京で活動する。漢詩にも優れ、「〓山游草」(びんざんゆうそう)などを残している。

※注:〓はモンガマエに「虫」