「勝利の日まで闘う」 名護、県議も移設反対候補


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翁長雄志さんの当選を喜び合う島袋文子さん(左)とヘリ基地反対協議会の安次富浩共同代表=16日午後8時8分、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設が最大の焦点になった知事選と県議補選名護市区で、どちらも辺野古への新基地建設に反対する候補が初当選した。獲得票数もそれぞれ他の候補を上回り、ことし1月の名護市長選、9月の名護市議選に続き、名護市民はあらためて辺野古移設「ノー」を突き付けた。

 知事選では移設阻止を掲げた翁長雄志さんが初当選。県議補選でも反対運動を続けてきた前名護市議の具志堅徹さんが初当選し、名護市区(定数2)は移設反対の県議が占めた。反対運動を続ける市民らは「基地建設を断念させて座り込みを終わりにしたい」と歓喜に沸いた。
 「勝利の日まで闘い抜くぞ」。米軍キャンプ・シュワブゲート前に、市民らの勝利の歌が響いた。ゲート前には約40人の市民らが続々と結集。午後8時、翁長さんの当確を知らせる電話を取った沖縄平和運動センターの山城博治議長が「勝った!」と声を上げると、市民らは歓喜の声を上げた。
 辺野古で暮らす島袋文子さん(85)は「何と言っていいか」と涙ぐみ、言葉を詰まらせ「基地建設を断念させて座り込みは終わりにしたい」と決意を新たにした。ヘリ基地反対協議会の安次富浩共同代表は「これで(辺野古移設阻止に向けた)扉が半分開いた。基地建設を止めるまで運動を続ける」と意気込んだ。
 一方、移設容認派は市長選、市議選に続き敗北した。条件付きで辺野古移設を容認する比嘉勤さん(66)は「翁長さんは移設先を示していない。普天間がそのまま残り事故が起きたらどうするのか」と指摘した。1997年12月、基地移設を受け入れて辞任した比嘉鉄也元名護市長は「翁長さんはああ言っているが、どうなるかな。これからが楽しみだ」と言葉少なだった。