聖火リレー 宜野湾沿道に群衆 仲道さん東京五輪時撮影


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撮影当時を振り返る仲道正永さん=11月26日、西原町小那覇の自宅

 【西原】1964年9月に東京五輪の聖火リレーが沖縄を走り抜けた模様を撮影した写真が、西原町小那覇の仲道正永さん(67)の自宅でこのほど見つかった。大勢の観衆が沿道を埋めて紙吹雪が舞う中、トーチを掲げた聖火ランナーが旧宜野湾市役所(現在のサンフティーマ)前に差し掛かる瞬間を鮮明に捉えている。仲道さんは「質流れ品の上等カメラを3ドルで手に入れることができて、いろいろな風景を撮りに歩き回っていたころ」と撮影当時に思いをはせた。

 今から50年前の9月7日に五輪聖火が沖縄に上陸し、3日かけて沖縄本島を駆け巡った。宜野湾市は最終日の同9日に通過している。仲道さんが自宅で資料を整理していたところ、聖火リレーのモノクロ写真2枚が箱の中から出てきた。
 当時、17歳だった仲道さんは、市普天間の「屋良商店」の屋上に上がらせてもらって三脚を据え、数カ月前に手に入れたばかりのカメラのシャッターを切った。
 聖火ランナーが普天満宮方面から旧市役所に到着した場面と、次のランナーへと聖火を受け渡す瞬間の2枚。市役所正面には「聖火歓迎」のアーチがかかり、近隣の宜野湾市農協などの建物の屋上やひさしにまでびっしりと人で埋まっている。電信柱のてっぺんにまで座っている人も確認でき、当時の熱狂が伝わってくる。
 久米島から宜野湾に出てきたばかりだった仲道青年は、水道工事の仕事で得た収入でカメラを買うことを夢見ていた。
 米兵相手の質屋で掘り出し物を見つけ、「夜も眠れないほどうれしかった。購入を後押ししてくれた普天間の『あけぼの写真館』のオーナーに、聖火が来ることも教えてもらった」と振り返った。
 2020年に再び東京五輪が開かれる。仲道さんは「もう一度聖火が沖縄を走るなら写真を撮りに行くよ」と語った。