「あの聖火ランナーは私」 宮城さん、撮影者の仲道さんと対面


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50年前の聖火リレーの写真を手に、聖火トーチを掲げて対面を喜ぶ(左から)宮城武正さんと仲道正永さん=17日、西原町

 【西原・宜野湾】本紙12月6日付地方面に掲載された「聖火リレー 熱狂今に/西原・仲道さん 東京五輪時撮影」の記事を読み、宜野湾市の宮城武正さん(72)が「あの時の聖火ランナーは私」と名乗り出た。17日、撮影者の仲道正永さん(67)=西原町=と対面を果たし、「半世紀前の懐かしい光景がまざまざとよみがえった」と若かりし日に戻って喜び合った。

 1964年9月9日に東京五輪の聖火が宜野湾市を駆け抜けた際、当時17歳の仲道さんは普天間の旧宜野湾市役所(現在はサンフティーマが営業している場所)の正面にある商店屋上に上がってカメラを構えていた。当時22歳の宮城さんは同市役所前から出発するランナーとして、それぞれ聖火の到着を待っていた。
 市役所職員だった宮城さんは、学生時代からバレーボールのアタッカーとして活躍していたことから教育委員会の職員から声が掛かり、旧市役所から市上原のバス停までの区間をランナーとして走った。仲道さんの写した写真には、市役所前で前走者から聖火を受け継ぐ瞬間の宮城さんの後ろ姿が記録されていた。
 「走る人がいなければやっていいよと軽く引き受けたら、沿道には大勢の人がいるし紙吹雪も舞って、こんなに大きなことなのかと驚いた」と宮城さんが笑うと、仲道さんも「屋上で三脚を立てている時は本当に聖火が来るのかなという感じだったけど、日の丸の小旗を持った小学生らであっという間に沿道が人で埋まった。電気ボックスの上にまで人がいて、今だったらありえないよ」と振り返った。
 宮城さんは50年前に五輪聖火を運んだ宝物のトーチを持参し、仲道さんの自宅を訪ねた。仲道さんの写真を基に当時の様子を語り合い、聖火リレーから戦後沖縄の風景まで、次々に広がる思い出話に花を咲かせた。宮城さんは「また東京オリンピックがやって来るというし、50年前に私が走った証しを孫たちに伝え残すいい機会になった」と笑顔で話した。