二つのコザ騒動 衆院選結果に酷似


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「二つのコザ騒動」をテーマに講演する大阪市立大の山崎孝史教授=20日、沖縄市の「ヒストリートII」

 【沖縄】沖縄市史編集担当による「戦後史を記録する会」が20日、市中央のヒストリートIIで開かれた。「二つのコザ騒動」をテーマに大阪市立大の山崎孝史教授が講演した。

1970年12月のコザ騒動と第二コザ事件の約8カ月間の市民の動向を踏まえ「コザ騒動で蜂起しなかった人も蜂起する結果となったのが第二コザ事件。米軍の管理、制御による圧政がほぼ全域・全市民の反発をくらう結果となった。この構図は12月の衆院選の結果ともダブって見える」と解説した。
 「コザンチュは何に怒ったのか」について分析した山崎氏はコザ騒動が人を傷つけるのではなく、米軍を象徴する車両「黄ナンバー」を攻撃対象にした「米兵と米軍を弁別した秩序ある暴動だった」と証言集などの分析結果から指摘した。
 騒動に参加した市民の動線の点からも黄ナンバーのある嘉手納基地第二ゲートなどの方面に進み、センター通りの特飲街では黄ナンバーがなく、自警団の阻止でUターンしていることを傍証として挙げた。一方で米軍と利害関係のある自警団を含め、コザ騒動には蜂起しなかった住民・場所があったことをコザの街のチャンプルー性として指摘した。
 また、71年8月17日の第二コザ事件は、黒人、白人の人種対立に「沖縄社会が巻き込まれた構図」と指摘した。
 米国民政府が白人特飲街へ黒人兵を誘導し、人種差別営業の店舗へ制裁を強化したことで「人種対立のとばっちりを受ける形で、コザ騒動に蜂起しなかった、米軍と利害関係のある市民までが蜂起する形になったのではないか。結果として米軍の圧政が全市民の反発をくらった」と問題提起した。
 二つのコザ騒動を通して山崎氏は「コザは沖縄県の縮図。12月の衆院選の結果は今の沖縄の現状と似通う」と話した。

※注:山崎氏の「崎」は、「大」が「立」の下の横棒なし