1959年の石川市(現うるま市)宮森小学校への米軍ジェット機墜落事故の際、同校の児童だった佐次田満さん(66)が16日、普天間飛行場の名護市辺野古移設を阻止しようと米軍キャンプ・シュワブゲート前で続いている市民らの抗議集会で初めてマイクを握った。佐次田さんは「当時と今はまるで変わっていない。新たな基地の建設は許してはいけない」と墜落事故の体験を交えながら、基地建設阻止への思いを語った。
これまで座り込みの現場を数回訪れているが今回、求められて初めてあいさつに立った。墜落事故時は5年生で、校舎が大地震に遭ったように大きく揺れたことや黒焦げになった児童が搬出されていった様子などを語った。
さらに「戦後、海域を含めると数え切れない米軍機の事故が起こっている。これは沖縄に基地が異常に集中するが故に起きていることだ」と、決して忘れることのない記憶に重ねて強調した。
「危ないものはどこに持っていっても危ない」と危険性のたらい回しでは解決は図られないとも訴え「普天間飛行場はなくすしかない」と求めた。
集会後、「話す予定はなく慌てた」と話しつつ「沖縄がしっかりと民意を示したのに、移設を進める政府はおかしい。どこかで言う必要もあるとは思っていた」と語った。