琉米・琉仏・琉蘭条約の原本、里帰り 27日から展示


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1854年に琉球国が米国と結んだ琉米修好条約の原本(外務省外交史料館所蔵)

 琉球国が1854年に米国、55年にフランス、59年にオランダと締結した修好条約の3原本が27日から浦添市美術館で展示される。原本は74年5月に明治政府によって没収され、外務省が保管している。国際法の専門家は「3原本は琉球が当時、国際法の主体として主権を有していた証し」と指摘している。

米軍基地問題などをめぐって沖縄の自己決定権要求が高まる中、今回の里帰りは沖縄の「主権回復」を求める議論に影響を与えそうだ。
 琉米修好条約は、鎖国状態だった日本に開国を迫るため浦賀(現神奈川県)や琉球などを訪れたペリー提督との間で結ばれた。米船舶への薪(まき)や水の提供、米国の領事裁判権を認めるなど不平等な内容で、琉球は当初、締結を拒んだが、ペリーの圧力に屈し、条約を結んだ。フランス、オランダともほぼ同様の条約を結んだ。
 明治維新の後、政府は琉球国の併合をもくろみ、外交権剥奪に乗り出す中で73年3月、3条約の提出を琉球に命じた。琉球側は粘り強く抵抗したが、最後は政府の強硬姿勢に屈し、74年5月、津波古親方政正が条約原本を携えて船で上京、政府へ引き渡した。現在、外務省外交史料館が原本を保管している。
 琉球は日本に併合される過程(「琉球処分」)で、条約締結国に対し、条約は「主権の証し」と主張、明治政府の「処分」に抵抗する切り札に使った。
 上村英明恵泉女学園大教授と阿部浩己神奈川大教授は、3条約締結の事実から「琉球は国際法上の主体であり、日本の一部ではなかった」と指摘。軍隊や警察が首里城を包囲し「沖縄県設置」への同意を尚泰王に迫った明治政府の行為は、当時の慣習国際法が禁じた「国の代表者への強制」に当たるとして「国際法上不正だ」と指摘している。
 3条約の原本は27日から3月29日まで浦添市美術館で開かれる「琉球・幕末・明治維新 沖縄特別展」(主催=琉球新報社、協同組合・沖縄産業計画)で展示される。(新垣毅)
英文へ→Ryukyu’s International Treaties return to Okinawa after 141 years