元警備員、今は辺野古区からゲート前に通う 区民の金城さん、基地建設阻止へ新たな闘志 辺野古座り込み11年 


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「体を張ってでも止める」とゲート前に座り込む金城武政さん=16日、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前

 【辺野古問題取材班】名護市辺野古への新基地建設反対を訴える市民らが辺野古漁港で座り込みを初め19日で11年を迎えた。さまざまな支援の輪が現場を支える中、地元への基地建設阻止へ声を上げ続ける住民や次代への引き継ぎを誓う若い世代など、県民一人一人が平和を願い行動している。

 2004年4月、名護市辺野古の浜。米軍普天間飛行場の辺野古移設に向けた海底ボーリング調査の準備作業を止めようと、市民らと作業員がにらみ合いを続ける中、金城武政さん(58)=名護市辺野古=は、反対派の混乱を抑える民間警備員として立っていた。あれから11年、金城さんは移設に反対する辺野古区民として米軍キャンプ・シュワブゲート前に立っている。「体を張ってでも基地は造らせない」。変わらぬ思いを胸に、きょうもシュプレヒコールを上げる。

 辺野古生まれ辺野古育ちの金城さん。基地と隣り合わせの生活で、米兵には事件や事故の印象が強い。「二度と戦争はしてはいけない。基地があるのはよくない」。中学時代の恩師の言葉が体中に染み込んだ。

 高校卒業後東京へ。体調を崩し02年に帰郷した金城さんの目に飛び込んできたのは、基地建設が条件の振興策に期待する区民の姿だった。ビーチにヨットハーバー。青写真を広げる区民らに金城さんは「ばっかじゃねえの」と吐き捨てた。「国は補償金は払わないと言っていたのに何か見返りがあると信じ込む。条件なんて守られたためしがない」

 だが、生活のためと金城さんが就いたのは辺野古移設関連の業務を担う建設会社が契約した民間警備員の仕事だった。移設反対の市民と対峙(たいじ)する職務だが、仕事と割り切った。「移設には反対という立場で仕事していたから。仕事が終わったらテントにスイカを持っていったよ」。金城さんのその行動は警備員を雇う建設会社の耳に入り、厳しく監視された。警備員以外の仕事に突然異動を告げられたこともあった。体調もさらに悪化し1年で仕事を辞めたが、反対運動はやめなかった。

 表立って移設に反対する区民が少ない中、金城さんは近所から白い目で見られた。金城さんの声が報道されるたび、告げ口をされた。「辺野古が反対しないから私たちが来ている」。区外から反対運動に来た人の言葉に唇をかみしめた。「『僕は辺野古区民だ』と言うと、みんなはっとする。辺野古でも移設反対の人はたくさんいる。声を上げられないだけだ」
 一方で最近の運動の広がりには期待もある。「ここ(辺野古)から戦争に行く基地は造らせない。区は条件付きと言うが、それは受け入れと一緒。きちんと反対を示さないと」。基地建設阻止に向けて新たな闘志を燃やしている。(田吹遥子)