戦後史、コザに凝縮 古堅さん 民主主義、街づくり語る


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コザの街について語る古堅宗光さん(右奥)=20日、沖縄市中央

 【沖縄】沖縄市史編纂(へんさん)担当による戦後史を記録する会の定例会が20日、沖縄市中央の戦後文化資料展示室・ヒストリート2で開かれた。講師はコザサポーターズクラブの共同代表、古堅宗光さん。沖縄と日本の戦後民主主義について言及し「島ぐるみ土地闘争や教公二法闘争など、一つ一つ勝ち取ってきたのが沖縄の民主主義。日本とは温度差がある」と話した。

 定例会には約20人が出席した。古堅さんは与那国島で生まれた自身の生い立ちから語った。学生時に始めたコザでの青果卸売業について「5千ドルの売り上げがあった月もあった。コザは商売人の天国だった」と懐かしそうに振り返った。
 自身の戦後体験の原点については「1955年9月、米軍曹に6歳女児が暴行、殺害された由美子ちゃん事件、59年発生の宮森小ジェット機墜落だった」と述べた。
 自らがコザという街を意識し始めたのが、三重県に一時移住した時だったことに言及。「自身のよりどころであるアイデンティティーに目覚めた。出自がコザであることを意識した最初の時だった」と語り、一度は外に出て自らの出自を見詰める大切さを説いた。
 講演では、90年に建国したコザ独立国の経緯で憲法草案づくりにも取り組んだことなどに触れ「コザは秘められた戦後史が凝縮されている」と、地域の個性にこだわった街づくりへの情熱を語った。
 最近では若者の起業支援のほか、台湾との交流活動に取り組んでいることを話し「グローバル時代の中、台湾とは経済でも波及効果があればと思う」と期待を込めた。