北部国道所長、定年前に退職 「健康上」、辺野古で心労も


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対する市民らが米軍キャンプ・シュワブ前に設置したテントの撤去指導や監視業務を所管し、北部国道事務所長として現場を指揮してきた照屋正史氏(59)が3月末までの定年を約9カ月残し、15日付で退職した。

照屋氏は18日、本紙取材に対し「(退職は)健康上の理由としかコメントできない」と説明したが、同事務所関係者は「体調面に加えて辺野古の対応で心労が重なったようだ」と話している。
 照屋氏が北部国道事務所の所長に就いたのは2014年4月。同事務所は15年2月26日からは官邸や国土交通省の指示に基づき、キャンプ・シュワブ前で24時間の監視態勢を始めた。現場では職員が不本意な形で市民が県民同士で対立する構図となり、心療内科へ通う職員も出た。
 本紙が取材中も市民に詰め寄られた男性職員が「自分にも子どもがいる。本当はしたくないから顔を隠している」と打ち明ける場面があった。職員と政府からの指示との間で板挟みになったことが照屋氏の心労を蓄積したとみられる。
 沖縄総合事務局開発建設労働組合(開建労)の仲里孝之委員長は照屋氏に関し「温厚な性格で職員の話もよく聞き、総合事務局との間に入ってしっかり調整した。(職員らは)年度末まで引き留めたが、難しかったようだ」と職員を気遣っていた様子を明かす。
 開建労によると照屋氏は事務所に泊まり込みで夜中も上層部に現場の状況を報告し、現場への指示を出す業務を担った。「撤去したテントを台風後に市民が再び設置した際には(市民への対応をめぐり)上層部から相当厳しく言われたようだ」(仲里委員長)。退任あいさつで照屋氏は「(心臓関係の持病で)ストレスが自分の体調に影響を及ぼすので健康、安全面を考えると辞職せざるを得ない」と話したという。
 照屋氏は普天間飛行場の地元で生まれ育った。仲里委員長は「複雑な思いがあったと思う」と代弁し、県民同士で対立させられる構図の解消を訴えた。