普天間移設、本土が拒む SACO協議で米元日本部長が証言


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 【ワシントン=問山栄恵本紙特派員】1995年の米兵乱暴事件時に米国務省日本部長を務めたロバート・ライス氏が同省系研究機関による退任後のインタビューで、米軍普天間飛行場など県内米軍基地返還をめぐる日米間協議について証言し、日本側が本土の反対を理由に本土移転を望まず、県内への整理統合を選択したことを明らかにしている。

一方、米軍が県外移設に強い反発を示していたことも明らかにした。証言から県内移設に固執する日米双方の思惑が露呈し、96年の日米特別行動委員会(SACO)で合意した米軍普天間飛行場など在沖米軍施設11施設返還のほとんどに、県内移設の条件が付いた背景があらためて浮かび上がった。
 インタビューは「外交研究・研修協会」が外交史記録を目的とし、2008年9月に行った。ライス氏は国務次官補代理(東アジア・太平洋担当)も務めた。
 ライス氏は日本政府が基地負担軽減をめぐり「決心がつかなかった」と葛藤する様子を指摘しつつも、「どの基地も本土に移転することは望まなかった。それは基地を増やすことに本土は反対しているからだ」と語り、最終的には実現可能な方法として、米軍基地の整理統合を選んだとした。
 一方、米側においても返還をめぐる議論や交渉では「全てにおいてDOD(米国防総省)がリードしていた」と振り返り、米軍側が交渉の主導権を握っていたことを指摘した。当時、国防次官補代理だったカート・キャンベル氏が交渉を進めていたが「キャンベル氏が何か挑戦するたびに『米軍は費用が高くつく』『移動に時間がかかる』『島での兵士の生活が混乱する』などと、提案がうまくいかないように、ありとあらゆる理由を付けた。カート氏は本当に割に合わない仕事だった」と説明した。