【島人の目】ムッソリーニの記憶


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 イタリアにある膨大な数の歴史的建築物の中で、最も新しいものの一つがミラノの中央駅舎である。駅の中ではずば抜けて威厳のある外観を持つ建物で、世界で一番美しい駅舎と呼ぶ建築評論家もいる。ミラノを訪れる多くの日本人も駅の堂々としたたたずまいには感嘆の声を漏らす。ところがこの建物をイタリア人は嫌う。理由はただ一言「威張っている」である。つまり洗練されていない、ということである。
 駅舎は「リットリア型」と呼ばれ、ムッソリーニが権力を握っていた時代の建築様式である。古代ローマ帝国に倣って質実剛健を目指したとも言われ、それなりの成功を収めていると僕は思う。同時にこの建物を「威張っている」と一刀両断に切り捨てるイタリア人の見識も面白い。
 独裁者のムッソリーニは、自らの威厳を示すために大上段に構えた威圧的、高圧的な印象を持つ建物を造る必要があった。成り上がりの権力者心理の典型である。
 目の肥えたイタリア人は、駅舎の威風にムッソリーニの野心やごう慢、民主主義への冒涜(ぼうとく)などをかぎ取ってまゆをひそめる。それは洗練を極めた建物群で街を埋め尽くして、ついには全体が芸術作品と言っても過言ではないベニスのような都市を造ってきた、イタリア人ならではの厳しい批評である。
 建築が彼らに受け入れられるためには、ムッソリーニの負の記憶がなくなって、駅舎が建物自体の生命を宿し始める、恐らく何世紀もの時間が必要に違いない。(仲宗根雅則 イタリア在住、TVディレクター)