有料

「ウランダー墓」で黙とう 1846年沖縄寄港中に病死の仏兵らを追悼 名護市の運天原


「ウランダー墓」で黙とう 1846年沖縄寄港中に病死の仏兵らを追悼 名護市の運天原 「ウランダー墓」で黙とうをささげるジェローム・シャルドン大尉(左)とフランス軍、名護市関係者ら=20日、名護市運天原
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 【名護】名護市運天原の通称・ウランダー(オランダ)墓で20日、埋葬されているフランス兵2人の追悼式典が開かれた。式典は在日仏大使館の国防担当武官ジェローム・シャルドン大尉が主催したもので、フランス軍関係者や名護市、運天原区の関係者らが出席し、追悼した。

 ウランダー墓は1846年、運天港に寄港中に病死した、フランス軍艦の乗組員のジャック・サルスさん、フランソワ・シャルル・ギタールさんを地元住民が手厚く葬り、管理を続けてきた。シャルドン大尉によると、2人のほかにも、那覇沖に停泊中に外科医のジュール・ピエール・ガランさんも亡くなったという記録が残る。ガランさんの墓は沖縄戦があった1945年に破壊されたという。

 追悼式で墓前には、フランスパンや、パン・スープリーズ、フランス産の水などが供えられた。シャルドン大尉は「歴史を忘れることなく、祖国から遠く離れた地で亡くなった人々を忘れない」と述べ、ガランさんを追悼する場所も与えるべきだとの考えを示した。10月3日から沖縄に滞在中のフランス海軍哨戒機の乗組員らも出席し、黙とうをささげた。

 長年、墓を管理してきた元運天原区長の花城清敏さん(73)にフランス政府から感謝状も贈られた。名護市議で郷土史家の大城松健さんが、1700年代にパリで活躍したギタリスト、フェルナンド・ソルのエチュード(月光)をクラシックギターで演奏し、悼んだ。

 在那覇フランス名誉領事の比嘉千春さんは「フランスと日本、沖縄の友好関係の証しとして、残していってほしい」と話した。運天原区長の運天均さんは「先輩方が受け継いできた気持ちを大事にして、守っていきたい」と話した。

 (池田哲平)

ウランダー墓とは

「オランダ」?それとも「ウランダー」? 公園や文化財の名称、和訳と琉球の名残どちらを使う?

1853年にペリー艦隊が探検した際に野営した小高い丘は「ウランダムイ」と名付けられた。現在は「オランダ森緑地公園」として金武町が管理している  【北部】沖縄本島 …