南城市玉城糸数の糸数アブチラガマで沖縄戦当時、住民に助けられ生還した元日本兵で、人形職人だった故・日比野勝廣さん=愛知県、享年85=の娘4人が23日、アブチラガマ案内センターで平和講話を行った。姉妹は同日行われたアブチラガマでの慰霊祭にも参加し、父親が約3カ月過ごしたガマに向かって手を合わせた。
日比野勝廣さんは沖縄戦で日本兵として戦闘に参加して浦添村安波茶で負傷し、糸数アブチラガマで身動きが取れなくなったが、住民に助けられ、生還した。
戦後は100回以上沖縄を訪れ、書籍を出版するなど、元日本兵の立場から戦争の悲惨さや平和の尊さを発信していた。
長女の日比野裕子さん(75)、次女の清水糸子さん(74)、四女の中村桂子さん(71)は愛知県在住、五女の柳川たづ江さん(69)は神奈川県在住で、2009年に父の勝廣さんが病死してからも定期的に沖縄を訪れ、平和を訴える活動を続けている。
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平和講話では桂子さんが父から聞いた戦争体験を語った。たづ江さんは人形の「ふくちゃん」と腹話術をしながら、戦時中に友人が亡くなり、自身は生き残ったことへの罪悪感で苦しんだことなど、父の胸の内を伝えた。聞いていた参加者の中には涙ぐむ人もいた。
戦後、次女の糸子さんは双子の1人として生まれ、それぞれ糸数の地名にちなんで糸子、数子と名付けられた。アブチラガマで糸数の住民に助けられた経験から「もう一度助けてほしい」という父の願いが込められていたが、数子さんは生まれて1週間後に亡くなってしまったという。糸子さんは「生きていることに感謝しなければならない」と話した。戦時中に父を助けた住民の家族とは今も交流している。
桂子さんは「戦争の記憶を語り継いでほしいという父の遺言を胸に、今後も姉妹で力を合わせて活動を続けていきたい」と話した。
(普天間伊織)