【国頭】国頭村立国頭中学校(具志堅勝司校長)で6月19日、平和学習の特別授業が同校体育館で開かれた。全校生徒119人が参加し、10歳で戦争を体験した大田吉子さん(90)=同村奥間=から戦争体験を聞いた。大田さんは、80年前、日増しに増す空襲、暗闇への避難などを振り返り、爆撃で死亡した人たちの間をくぐり抜け「絶対に死にたくない。生きていたい」と思ったという。
大田さんの父は防衛隊に、一番上の姉も戦場へ召集され、母、次女、大田さんとで山奥へ避難するも、山での生活はとてもつらかったという。食べ物を調達するため母は夜にはだしで歩いて山里へ降りた。爆撃で家は灰となり、山奥での避難生活が続き、隣の集落では生まれたばかりの子どもが爆撃で亡くなったことを聞いたという。姉が病気で亡くなったこと、対馬丸のつらく悲惨な出来事などについても伝えた。
「戦争は終わりました、里に戻るように」と放送が流れ、避難した山から戻る途中に日本兵の死体が3カ所にあったという。帰る家がなく、唯一残った民家の一室での生活を余儀なくされた。
読谷からも数十人の家族が国頭村奥間に避難、食料もなくカエル、バッタ、ネズミなどを食べていたという。困り果てた避難家族から、大田さんの母親に「着物と米3升を交換してほしい」と求められた。大田さんは着物を大切に保管し、のちに持ち主に返すことができた。現在その着物は、戦争の悲惨さを伝えるために、読谷村の博物館に展示されているという。
大田さんは「戦争は大変よ。私は泣き虫だったから、涙から先に出た。そんな時代をみんなには過ごせさせたくない。だから仲良く幸せな人生を送ってくださいよ」と涙を浮かべながら訴えた。
生徒を代表して1年生の生徒は「印象に残ったのは戦争での暮らし方。カエルやバッタを食べたり、墓の中で眠ったりするのは、今ではあり得ないことで、今の国頭村の環境は恵まれていると思った。これからもみんなで国頭村の平和を守っていきたい」と話した。
5月に発行された大田さんの本「90歳のおばーのゴキゲンなひとり暮らし」が学校図書室にあり、その本でも戦争体験などがつづられていることが伝えられた。
(新城高仁通信員)