レタスなどの野菜とタコスミートやチーズなどをご飯に乗せて食べる「タコライス」。メキシコ料理の「タコス」がどのように形を変えタコライスとして沖縄で定着したのか。タコライスが金武町より先にコザ市(現沖縄市)で賄い料理として提供されていたことなど、津田塾大学大学院国際関係学研究科修士課程の修士論文で深津萌花さん(26)=愛知県=がまとめた。
東京都出身の深津さんは家の食卓によくタコライスが出たことや、メキシコに関心があったことをきっかけにタコライスの成り立ちについての研究を始めた。修士論文をタコライスの創出と定着をテーマに書き上げた。沖縄を訪れ、県民への聞き取りや文献の調査、店舗取材などをしてきたという。
![](https://ryukyushimpo.jp/tachyon/2024/08/RS20240723G00182010100.jpg)
沖縄のタコスは、越来村やコザ市で、若い米兵向けの安価な料理として提供が始まったという。タコライスは一般に1984年開店の金武町の「パーラー千里」が発祥とされているが、コザ市の「ニューヨークレストラン」をはじめとする米兵相手のレストランで、60年代ごろから従業員の賄いとして提供されていたようだと論文で紹介している。同市のレストラン「オーシャン」ではトルティーヤが切れた後に、タコスの具材を白米の上に載せて食べていたという話もあり、同時多発的にタコライスが生まれたと考えられるという。
パーラー千里は80年代、景気が落ち込んでいた米兵向けに、安価で量が多く独自性のあるタコライスを県内で初めて商品化した。なじみのある白米に変わったことなどで県民の人気を獲得して、タコライス発祥の地として知られるようになったと分析した。
深津さんはタコライスへの変容と定着について「支配者としてのアメリカに押しつけられるだけでなく、主体的に吸収しよりよくする動きがあったのかもしれない」と推測。また「文化を受け入れる知恵が沖縄にあるのではと感じた」と述べた。
(福田修平)