音楽が絶えない、島の民宿 神谷荘 神谷恭平さん HINAKOさん


音楽が絶えない、島の民宿 神谷荘 神谷恭平さん HINAKOさん 津堅島で1980年に創業した民宿・神谷荘。現在、オーナーを務めるのは神谷恭平さん(左)だ。一緒に並ぶのはパートナーでシンガー、民宿の従業員でもあるHINAKOさん。民宿では定期的に音楽ライブを開催、ネット・SNSでの情報発信にも力を入れている 写真・津波典泰
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オジーの残した民宿。
SNS時代も島の良さを発信

うるま市の平敷屋港からフェリーで津堅島へ。島が近づいてくると、船上から西岸にあるトゥマイ浜とレトロな雰囲気の「神谷荘」の建物を見つけることができる。現在、宿を切り盛りするのは3代目の神谷恭平さん。2019年、祖父の幸一さんから民宿経営を引き継いだ。民宿の歴史や、特色となっている音楽ライブについて話を聞いた。

キャロットアイランドの愛称もある津堅島。ニンジンは冬場の特産物だ。夏場は美しい海、昔ながらの島の暮らしに接することができる。平坦な島だが、徒歩での移動は大変。津堅港から神谷荘までは「キャロタク」か「キャロバス」(電動車による移動サービス)の利用がおすすめだ。

(提供写真)

神谷荘に到着したら、まっすぐ海に行くのはもちろん、エアコンの効いた客室やホールで過ごすのも心地よい。コーヒーやビールを片手に海を眺めるのがぜいたくだ。夕方になれば沖縄本島に沈む夕日を眺めながら、県産の食材を使った夕食が味わえる。

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「三線の始祖とされる赤犬子(アカインコ)の生誕地に行ってみてください」

島の名所を尋ねると、オーナーの神谷恭平さんはそう答えた。島には史跡も点在し、歴史や文化に関心を持てば見どころがさらに広がる。

神谷恭平さん。1994年生まれ。神谷家は、首里にゆかりのある家系で、恭平さんの6代前に津堅に移り住んだという。民宿を継いでから、料理を学んだり、船舶免許を取ったりと、新しく始めたことも多いそうだ。現在は、島民の生活と観光業が分断を生まないよう、バランスを取ることにも気を使う(提供写真)

民宿と家族の歴史

神谷荘がオープンしたのは1980年。島の観光業の最初期に、おにぎりなどの軽食を販売していた店が前身なのだとか。創業者は恭平さんの曽祖父である幸徳(こうとく)さん。「有限会社神谷観光」を立ち上げた人物だ。定期航路事業を開始し、交通の便を向上させる礎となった。

先代オーナーの神谷幸一さん(有限会社神谷観光代表取締役、民謡歌手)。「80年代は、佐敷から観光客の方々を島に運んでいました」と今はない航路を教えてくれた。島で生まれ育ち、そうめんの箱と空き缶で三線を作ったことが音楽活動の原点であるそうだ。ライブ配信など、恭平さんの始めた事業にも協力する。令和5年度沖縄県文化功労者(うるま市塩屋の自宅で撮影)

民宿の名を有名にしたのは、2代目の幸一さん(現・神谷観光代表取締役)ときょうだいたち。民謡歌手としても名高い幸一さんを筆頭に、「神谷幸一とファミリーズ」を結成。毎晩のようにショーを開催した。活動の最盛期は90~00年代。この頃から足を運ぶ常連客もいるそうだ。

一方、恭平さんは沖縄市で生まれ育った。子どもの頃は、津堅島は盆・正月に行く場所という認識。幸一さんをはじめ、音楽にたけた親戚が多いことで、三線や民謡は避けていたという。だが、社会人になる時は自然と音楽関係の仕事を選んでいたそうだ。東京で約4年、音響の仕事に従事した。神谷荘の経営をどうするか、家族の中で議題となっていたのはこの時だったという。民宿を売却する、そんな案も上がっていた中で、後継者として手を挙げたのだった。

(提供写真)

「『オジーの店閉めたよ、神谷荘閉まるよ』なんて言うのは寂しくて。今が帰ってくる時なのかなぁ、と思ったんです」

恭平さんが穏やかに思い出した。

島からライブ配信

経営を継いだ恭平さんが新たに始めたのは、SNSを使った情報発信。音楽ライブの開催と配信にも力を入れる。民謡だけでなく、ポップスやギター弾き語りなど、さまざまなジャンルのアーティストが出演できる場所をつくった。

民宿でのライブの様子(提供写真)

配信は、島にルーツがある人たちから反応があるという。「皆さんが島に戻ってくるきっかけになれば」。恭平さんはそう話した。配信の収益は、ビーチクリーンや学校への寄付に役立てられている。ライブ配信は、離れていても島を身近に感じられ、担い手も無理なく続けられる。持続性のある島おこしだと恭平さんは捉えている。

「音楽家が集まるような島をつくっていきたいです」

展望を語ってくれた恭平さん。祖父と同じく、音楽の絶えない民宿をこれからも守っていく。

(津波典泰)

(2024年8月8日付 週刊レキオ掲載)