沖縄市立郷土博物館は8月11日、市芸能館で「琉球国時代の植物利用の考察」をテーマに市民講座を開いた。同市大工廻にある、琉球王国時代の士族が廃藩置県後に移り住んだ大工廻八所集落の調査結果から、当時の植物利用の状況を解説した。集落内の植生から当時の人々の暮らしや、住んでいた人の特徴などが分かるという。
沖縄生物倶楽部の佐藤寛之 博士が講師を務めた。同集落の植生は戦後ほとんど人の手が加わっておらず、当時の状況が残っている。
集落の植生を調査すると、緑肥として使用されていた植物や、トイレットペーパー代わりに使用されていた植物、加工してお金を稼ぐための繊維がとれる植物などが植えられており、屋敷に住む人が植物を利用しながら生活していたことが分かるという。
琉球王国時代の宰相などを務めた蔡温の書物によると、市大工廻に林業の管理をする山奉行所があったことを紹介し、同集落内にある、植生や建物が一般の民家と異なる屋敷跡が中頭山奉行所であった可能性があることなどを紹介した。
講座内では、嘉手納弾薬庫地区内で発見された、杣山(そまやま)とみられる植生についても紹介した。杣山は琉球王国時代に、首里市族の屋敷や寺社の建築、外交のための船の建築材など多様な用途がある木材を、自国内で確保するために整備したという。
佐藤博士は「植生を見ることで、その当時の人たちがどのように暮らしていたのかの生々しい情報が分かる」と説明した。
(福田修平)